男性とその花嫁の入れ替わり

深紅と金の檻――祝福に消える

喉の仏が無くなり、声帯が上へと引き上げられたような違和感に、胸の奥が冷たく塞がる。

鏡の中に映っているのは、深紅と紫を帯びた絢爛なサリーに身を包んだ、厚みの増した成熟した女性の身体だった。

肩骨を下圧する布地の重さと、脇下で擦れる脂の乗った皮膚が、悠人に不可逆の変容を突きつける。

息を吸い込むたびに、胸の周りを覆う硬い下着と、金糸で刺繍された布地が肋骨を圧迫した。

男性であったはずの自意識は、頭蓋の内側に貼りついたまま、指先一つ満足に動かせない。

「美咲、どうしたの。顔色が少し悪いけれど、大丈夫?」

背後から声をかけてきたのは、悠人の妹である里奈だった。

だが、里奈の視線は、悠人の身体を「美咲」として捉えており、そこには何の疑念も存在しなかった。

「……あ、う……」

喉を震わせて声を出そうとするが、吐き出されたのは甲高い、粘り気のある女の声だった。

声帯の位置が以前より数センチ高く、呼気の押し出し方がまるで分からない。

「私は、男だ。悠人だ。何かのおかしい」

悠人は言葉を組み立てて必死に訴えた。

しかし、喉から漏れ出た音波は、言葉としての体をなさず、途切れ途切れの喘ぎにしかならなかった。

「まあ、緊張しているのね。誰だって結婚式の当日はそうなるわ。大丈夫よ、智樹さんは優しい人だから」

里奈は穏やかに微笑み、悠人の丸みを帯びた肩に手を置いた。

その手の温もりが、かえって悠人の皮膚を粟立たせる。

里奈の手つきは、繊細な陶器を扱うかのように丁寧で、それがかえって逃げ場を奪っていた。

「ちがう、離せ。服を、脱がせてくれ」

悠人は両手を伸ばし、胸元を覆う深紅の布を掴んだ。

爪を立てて引きはがそうとしたが、指先には以前のような筋力がなく、重厚な金糸の刺繍に滑ってしまう。

爪の間に布の繊維が挟まり、鈍い痛みが指神経を走った。

「だめよ美咲、せっかく綺麗に巻き終わったのに。そんなに乱したらお父様が悲しむわ」

里奈は悠人の両手を優しく包み込み、そのまま下へと押し戻した。

女性特有の柔らかな手つきであったが、悠人の衰えた腕力では、それを振り払うことすら出来なかった。

皮下脂肪の増した二の腕が、脇腹の肉と密着し、不快な熱を帯びて汗ばむ。

鏡の中の女性——美咲は、悠人の困惑をあざ笑うかのように、分厚い化粧とジュエリーで飾られていた。

額の中央には、赤いビンディと金色のチェーンが揺れ、眉間へ小刻みな重量感を加えている。

腰回りには重厚な生地が幾重にも巻かれ、骨盤の位置が低く固定されていた。

足を踏み出そうとすると、太もも同士の内側の肉が擦れ合い、歩行のピッチを強制的に狂わせる。

「さあ、お父様が待っていらっしゃるわ。ヴェールをかぶりましょうね」

里奈は薄い布を悠人の頭からかぶせた。

視界が赤い布越しに濁り、世界の輪郭が遠のいていく。

控室のドアが開き、初老の男性——美咲の父親が入ってきた。

父親の顔には、娘を嫁に送り出す寂しさと誇らしさが、隠しきれずに浮かんでいた。

「美咲、綺麗だぞ。本当によく育ってくれた」

父親の手が悠人の右肘を取った。

その手は力強く、逃げ出そうとする悠人の重心を、確実に会場の方向へと誘導する。

悠人は足を踏ん張り、その場に停滞しようと試みた。

しかし、かかとにかかる重心の位置が、以前の男性体とは全く異なっていた。

骨盤の傾斜のせいで、力を入れようとすると膝が内側へ折れ、あっけなく体勢を崩してしまう。

「おっと、足元に気をつけなさい。サリーは裾を踏みやすいからね」

父親は優しく悠人の体を支えた。

抵抗の意志として示した動作は、単なる「歩き慣れない花嫁の覚束なさ」として、温かい善意の中に回収された。

悠人は声を出して暴れようとした。

「放せ、俺は男だ、こんなところにはいられない」

だが、口から出たのは、「……やめ、て……離して……」という、小さく震える吐息だけだった。

ヴェールの内側で、呼吸が熱気となって皮膚に跳ね返る。

顔の皮下脂肪が熱を持ち、塗たくられたファンデーションが、毛穴を塞いで皮膚を息苦しくさせた。

廊下を抜けると、重厚な扉が開かれ、光と拍手の渦が悠人を包み込んだ。

広い会場には、見知らぬ参列者たちが並んでいた。

誰もが温かな眼差しを向け、手を叩き、祝いの言葉を投げかけてくる。

「おめでとう、美咲ちゃん」

「すごく綺麗よ、お幸せに」

それらの声は、悠人の耳には鈍いノイズとして届いた。

悪意はどこにも存在しなかった。

全員が純粋な善意で、この結婚を祝福していた。

その圧倒的な正当性の前では、悠人の内面にある「男」という事実など、存在しないも同然だった。

一歩歩くたびに、重いサリーの裾が足首に絡みつく。

首から下げた何重ものネックレスが、胸元でジャラジャラと重い音を立て、鎖骨に冷たい金属の感触を押し当てる。

会場の中央には、花輪で飾られた舞台が用意されていた。

その上に、ひとりの青年が立っていた。

白いシャツと黒いズボンに身を包んだ、整った顔立ちの男性——智樹だった。

彼こそが、美咲の婚約者であり、隣町で裕福な暮らしを送る青年だった。

智樹は悠人が近づくのを見ると、目元を緩め、心からの笑顔を向けた。

その瞳には、悠人の姿をした「美咲」への、疑いようのない深い愛が宿っていた。

智樹の手が伸ばされ、悠人の左手を取った。

智樹の手のひらは温かく、大きくて、乾燥していた。

かつての悠人であれば、同等のサイズであったはずの手が、今の小さな手に対しては包み込むように大きい。

その寸法の違いが、悠人の胸に冷や汗を流させた。

「美咲、待っていたよ。本当に綺麗だ」

智樹の囁き声が耳元に届く。

悠人は手を引き抜こうと、腕全体に力を込めた。

しかし、二の腕の肉が揺れるだけで、智樹の優しい握力を振り払うことはできない。

力を入れれば入れるほど、自分の腕の肉の柔らかさと非力さが、はっきりと自覚されるだけだった。

司祭が二人の前に進み出た。

重々しい聖書が開かれ、儀式の言葉が紡がれ始める。

「新郎、新婦は前へ。互いに誓いの花輪を交わしなさい」

指示に従い、智樹が花輪を取り上げた。

生花の重みと甘ったるい香りが、悠人の鼻腔を刺す。

智樹は悠人の首に、白い生花で作られた重い花輪をかけた。

花の冷たい花弁が、首筋の皮膚に触れてゾクりと震える。

「さあ、新婦も新郎へ」

里奈が横から花輪を差し出してきた。

悠人はそれを受け取らざるを得なかった。

花輪を持ち上げようとした瞬間、腕の筋肉が微かに痙攣した。

持ち上げる動作だけで、肩の関節に余計な負荷がかかる。

悠人は花輪を智樹の首にかけるフリをして、そのまま智樹の胸を突き飛ばそうとした。

指先に全体重を乗せ、智樹の白いシャツの胸元を押した。

「うお……っ」

智樹の体がわずかに揺れた。

だが、倒れることはなかった。

智樹は驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかい苦笑いを浮かべた。

「手が震えているね。緊張しなくても大丈夫だよ、美咲」

智樹は悠人の手を優しく包み込み、自らの首へと花輪を導いた。

悠人の抵抗は、「緊張による手元のおぼつとなさ」として、完全に打ち消された。

周囲からは、微笑ましいものを見るような、穏やかな笑い声が漏れた。

悠人は絶望に膝が折れそうになった。

何をしても、どんな意図を持って行動しても、「美しい新婦の仕草」として解釈される。

身体の記号と周囲の文脈が、悠人の意志を完全に無効化していた。

「……あなたたちは今、夫婦となりました。あなたたちはお互いに愛し合い、尊敬し合い、支え合い、幸せに暮らしてください」

司祭の宣言が会場に響き渡った。

盛大な拍手が巻き起こり、花吹雪が空から舞い落ちてきた。

智樹が悠人のヴェールをゆっくりと持ち上げる。

赤い布地が持ち上がり、外の光が直接視界に飛び込んできた。

智樹の顔が急接近する。

「やめろ、来ないでくれ」

悠人は叫ぼうとしたが、唇が乾燥して上唇に張り付き、声にならなかった。

智樹の唇が、悠人の唇の上に重ねられた。

柔らかく、温かい感触が、口唇の皮膚を通じて脳へと伝わる。

快楽でも不快でもない、ただ他者の肉体が接触しているという、淡々とした物質的な事実だけが存在した。

智樹はそのまま悠人を強く抱きしめた。

悠人の厚みのある胸が、智樹の硬い胸板に押し潰される。

胸の肉が横へと逃げ、アンダーバストのブラジャーのワイヤーが、肋骨に食い込んで鈍痛を立てた。

「君は僕の夢だった。僕は君を愛してる」

耳元で囁かれた智樹の声は、真実の愛に満ち溢れていた。

その誠実さが、悠人にとってはどんな暴力よりも重く、逃げ場を塞ぐ壁となっていた。

悠人は答えることが出来なかった。

ただ、背中に回された智樹の手の温もりと、自分の背肉の柔らかさを感じながら、呆然と空間を見つめていた。

視線の先には、会場の端で笑顔で拍手を送る里奈の姿があった。

里奈の目は、姉の幸せを心から確信していた。

悠人はゆっくりと首を振ろうとしたが、頭上の重いジュエリーがそれを許さなかった。

首の筋肉が強張っており、わずかに傾けることすら困難だった。

「さあ、みんなが待っているよ。行こう、美咲」

智樹が手を差し出す。

悠人はその手を取るしかなかった。

取らなければ、その場に崩れ落ちるしかなかったからだ。

二人は並んで歩き始めた。

深紅と金のサリーの裾が、床を擦る重い音を立てる。

悠人は自分の足元を見つめた。

つま先には、赤く塗られた爪が見えた。

その爪は短く整えられ、二度と男の拳を握るためのものではなくなっていた。

歩くたびに、下腹部の肉が揺れ、腰回りの布地が締め付けを増す。

悠人は自分の中の「悠人」という存在が、この重い皮膚と布地の下で、ゆっくりと息絶えていくのを感じていた。

祝福の拍手は鳴り止まない。

二人は光の射す出口へと向かって、静かに歩を進めていった。

面白そうだと思ってくれたら、他の人にも勧めてみてください♪

コメント

タイトルとURLをコピーしました