夏祭りの運命交換-リメイク-
夏の夜気は、湿り気を帯びてじっとりと肌にまとわりつく。
田中春人(たなかはると)は、額に浮かぶ汗を拭いながら、地元の神社の参道を埋め尽くす群衆の中にいた。
春人は、自他共に認める「平均点」の人間だ。
成績は真ん中、足の速さも普通、容姿も十人並み。
クラスの集合写真ではいつも後列の端に写り、誰の記憶にも残らないような無機質な存在感。
目立つことを避け、平穏な日々を愛する彼にとって、年に一度のこの夏祭りは、日常という真っ白なキャンバスに唯一の原色を添えるイベントだった。
「春人!置いていくぞ!」
前を歩く友人たちが振り返り、笑いながら手を振る。
金魚すくいの屋台からは水しぶきと塩素の匂いが漂い、焼きそばの香ばしいソースの香りが空腹を暴力的に刺激する。
提灯の赤い光がどこまでも連なり、まるで幻想的な迷宮の入り口のように参道を照らしていた。
友人たちと射的に興じ、安っぽい景品に一喜一憂している最中、春人はふと奇妙な感覚に襲われた。
賑やかな祭りの喧騒が、一瞬だけ水の中に潜ったかのように遠のいた静寂。
彼は吸い寄せられるように、メイン通りから少し外れた、影の濃い脇道へと足を踏み入れた。
そこには、一軒の屋台がひっそりと佇んでいた。
他の屋台とは明らかに異彩を放っている。
周囲の熱気とは裏腹に、その空間だけが凍りついたように静まり返っていた。
古びた木の枠組みには、年月で色褪せた紫色の垂れ幕。
そこには墨痕鮮やかに、現代のものとは思えない力強い筆致でこう記されていた。
「運命の交換」
「なんだこれ……新手の占いか?」
好奇心が、理性を上回った。春人は友人たちに「すぐ戻る」と告げ、その屋台へと近づいた。
屋台の中には、年齢不詳の老婆が座っていた。
深く刻まれた顔のシワは、まるで古い樹皮のようで、その瞳だけが提灯の光を反射して異常なほどに澄んでいる。
「若者よ。君は特別な運命を持っている」
老婆の声は、風に揺れる枯れ葉のようにカサついていたが、春人の脳裏に直接響くような、逆らえない力強さがあった。
「今日、この夜空の下で、運命の交換が起こる。失うものを恐れず、得るものを慈しむがいい」
「え、あ、はい。……占い、いくらですか?」
春人が困惑して財布に手を伸ばそうとしたその時、老婆が細長い、爪の尖った指をすっと空に向けた。
「代金は、君の明日だ」
直後、世界が真っ白に弾けた。
激しい閃光が春人の視界を塗りつぶし、雷鳴のような轟音が耳の奥で鳴り響く。
身体が浮き上がるような浮遊感と、全身の細胞が一度バラバラに解体されるような激痛が同時に襲う。
平衡感覚が消失し、春人の意識は底のない暗闇の中へと突き落とされた。
光が消え、視界が戻った時、春人は自分が地面に座り込んでいることに気づいた。
「……っ、今の、何だったんだ?」
自分の声を出した瞬間、春人は雷に打たれたように凍りついた。
自分の喉から漏れたのは、いつも聞き慣れた男子高校生の野太い声ではなく、鈴を転がすような、透明感のある高い声だった。
視線を下に落とすと、そこには見覚えのない景色が広がっていた。
白く細い指。そこには淡いピンク色のマニキュアが丁寧に塗られている。
膝の上には、繊細な刺繍が施された紺色の、上質な絹の小紋。
帯の締め付けが、男子の体格ではあり得ないほど細い胴体を圧迫し、慣れない下駄の鼻緒が指の股を刺激している。
「嘘だろ……?」
春人は混乱の極みにあった。彼はよろよろと立ち上がり、人混みから逃げるように近くの公園の植え込みへと駆け込んだ。
心臓が激しく鼓動している。
その鼓動さえも、以前よりずっと速く、高いピッチで、身体の奥深くから響いてくる。
彼は震える手でスマートフォンのカメラを起動し、インカメラで自分の姿を映し出した。
画面に映っていたのは、目を見張るような「美少女」だった。
艶やかな黒髪は綺麗に結い上げられ、白いうなじが街灯に照らされている。
大きな瞳は、困惑と驚きで潤んでいた。
春人は震える指で自分の顔を触ってみた。
画面の中の少女も同じ動きをする。
指先に伝わる肌の質感は、驚くほどきめ細かく、柔らかい。
「これが……俺? 本当に、女の子になってる……」
春人は呆然としながらも、不思議と自分自身の姿に目を奪われていた。
小紋の袖を広げてみると、上質な生地の感触が指先を滑る。
男だった時には決して縁のなかった、重なり合う布の重量感、帯が作り出す凛とした背筋の緊張感。
「すごい……。こんなに綺麗な服、人生で一度も着たことなかった」
春人は、スマートフォンの画面越しに何度もポーズを取ってみた。
小首を傾げてみたり、裾を少し持ち上げてみたり。
動くたびに、小紋の絹が「シュ、シュ」と上品に擦れる音が聞こえる。
身体は以前よりずっと軽く、重心が低い。
重心の違いによって歩き方まで自然と変わり、しとやかな動作が身についていくのを感じた。
「これは夢じゃない」
彼は自分の状況を受け入れざるを得なかった。
占い師が言った「運命の交換」。
だとしたら、俺の体は今どこにある?
春人は不安に駆られながらも、この新しい体から溢れ出す、今まで経験したことのない全能感と高揚感を抑えることができなかった。
公園の影に隠れているわけにもいかず、春人は勇気を出して再び祭りの中心部へと戻った。
女子の歩幅は狭く、少し歩くだけで下駄の音が「カラン、コロン」と、周囲の視線を誘うように心地よく響く。
メイン通りに出た瞬間、春人は周囲の空気が一変したのを感じた。
道を行き交う男たちが、一様に自分を振り返る。
羨望、欲望、そして純粋な称賛。
平凡な男子高校生だった時には一度も向けられたことのない、強烈な「視線の集中」。それは少し怖くもあったが、同時に、世界が自分を中心に回っているかのような錯覚を与えた。
「おい、あの子見ろよ。めちゃくちゃ綺麗じゃないか?」
「芸能人かなにかかな……」
ひそひそ話が聞こえるたびに、春人の心臓は跳ね上がった。
自分の内面は相変わらず「田中春人」だが、外見というガワが変わるだけで、世界との接し方がこれほどまで劇的に変わるのか。
その時、聞き慣れた声がした。
「おーい!こんなところにいたのか!」
友人たちだ。春人は「まずい、バレる」と身を固くしたが、彼らの反応は予想に反していた。
「遅いぞ、春人。……って、なんだよ、その恰好。めちゃくちゃ似合ってるじゃねーか!」
友人たちは、春人がこの姿であることを「最初からそうだった」かのように、当たり前に受け入れていた。
占い師の術なのか、周囲の記憶さえも改竄されているようだった。
「春人、焼きそば食うか? ほら、お前紅生姜多めが好きなんだろ?」
友人の一人が、あーん、と箸を差し出してくる。
いつもなら「気持ちわりーな!」と一蹴するところだが、女子の姿でそれをされると、顔が火が出るほど熱くなるのを感じた。
「……ありが、とう」
おしとやかに焼きそばを受け取る自分の仕草に、春人は戸惑いながらも酔いしれた。
友人たちが以前よりずっと優しく、自分を「守るべき対象」として扱ってくれる。
それは、男子同士の友情とは全く別の、甘く痺れるような快感だった。

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