恋人・美咲へのプロポーズを、親友の里奈と準備していた悠人。
だが、二人の姿を浮気と誤解した美咲は部屋を飛び出す。
追いすがる彼女を振り払った瞬間、祝福になるはずだった指輪が、二人の人生を取り返しのつかない形で結び直した。
二十八歳の誕生日。
仕事が忙しいと嘘を吐いたのは、サプライズのためだった。
美咲の親友である里奈に協力を仰ぎ、美咲がずっと欲しがっていたブランドの指輪を買い、リビングを飾り付ける。
すべては美咲を驚かせ、プロポーズを受け入れてもらうための段取りだった。
しかし、インターホンが鳴り、ドアを開けた里奈の顔を見た瞬間に、美咲の表情は凍りついた。
疑惑と、裏切られたという確信。
それは言葉になる前に、美咲の身体を突き動かしていた。
「何をしているの? あなたは私に嘘をついたの? あなたは私の親友と浮気をしていたの?」
「違う、違うんだ。説明させてくれ。これはすべて、君のためのサプライズだったんだ」
悠人は両手を上げて弁解した。
「違う! 里奈はただ手伝ってくれただけだ! 指輪だよ、指輪を……美咲、お前にプロポーズするつもりだったんだよ!」
「もう遅いよ。君は俺を信じてくれなかった。君は俺の気持ちを踏みにじった。君は俺の大切な人を傷つけた。俺はもう君と一緒にいられない」
次に意識が浮上したとき、世界は完全に変わっていた。
強烈な痛みが、頭部の右側から首筋にかけて走っていた。
どろりとした生暖かい液体が、頬を伝って地面に流れていくのが分かる。
悠人は自分の右手を動かそうとした。
しかし、脳からの指令に対する肉体の反応が、決定的に遅い。
まるで泥水の中で指を動かしているかのような、ひどい肉の重み。
視界に入ってきた右手は、自分のものよりも明らかに細く、白く、しかし爪には見覚えのある淡いピンクのマニキュアが塗られていた。
美咲の、手だった。
「あっ、あ……」
声を出そうとした。
だが、喉から漏れたのは、悠人の知る自分の声ではなかった。
高くて、かすれていて、ひどく肉感的な、大人の女性の呼吸音。

翌日、神経内科の佐久間医師が、文字盤とメモ用紙を持ってきた。
悠人は震える右手で、時間をかけて「俺は神谷悠人」と書いた。
続けて、自分の社員番号と、部屋の金庫の暗証番号を書いた。
事故当日の指輪の金額まで、桁を違えずに記した。
これなら、自分が誰かを証明できると思った。
佐久間は紙を読み、否定も肯定もしなかった。
「強い外傷の後には、身近な人物と自己を混同することがあります」
里奈は善意から、悠人の手を包んだ。
「大丈夫。美咲が混乱しても、私がそばにいるから」
番号が正しいことは、かえって説明を簡単にした。
恋人なら知っていても不思議ではない、と処理された。
診療録には、自己同一性の混乱という一行が加わった。
悠人が文字で行った最初の抵抗は、症状の証拠に変わった。

—
## キャラクター設定 ##
神谷 悠人(かみや ゆうと)
28歳の会社員。短髪で肩幅が広く、低く少しハスキーな声を持つ。
恋人の美咲を心から愛し、里奈の協力を得て誕生日のサプライズ・プロポーズを計画する。
誠実さを疑われた怒りから美咲を拒絶し、追いすがる彼女をとっさに突き飛ばしたことが悲劇の引き金となる。
入れ替わり後は美咲の26歳の身体で生きることになり、知識や数字によって自分が悠人だと証明しようとする。しかし、その正確ささえ「美咲の混乱」と解釈され、社会から美咲として扱われ続ける。
合理性と自尊心が強い一方、自分の過失への罪悪感と、身体・名前・人生を失う恐怖を抱える主人公。
美咲(みさき)
26歳。肩にかかる長い髪と、大きな瞳を持つ。アパレル会社で事務職として働いている。
悠人の恋人で、里奈の親友。悠人との将来を望んでいたが、嘘をつかれた不安と里奈への疑念から、サプライズの現場を浮気だと思い込む。
感情が高ぶると先に身体が動く衝動性があり、誤解に気づいた後も悠人の車へ追いすがった結果、事故に遭う。
指輪を介した不可思議な現象で悠人の身体へ移るが、頭部への衝撃と交換の影響から意思疎通が困難になる。
悠人にとっては、愛する相手であると同時に、自分を閉じ込めた身体と、取り戻せない過去そのものになる。
里奈(りな)
美咲の親友で、悠人のサプライズ・プロポーズに協力した女性。
二人の関係を壊す意図はなく、飾り付けを手伝っていただけだが、美咲の誤解を招く場に居合わせる。
事故後は強い罪悪感から美咲の看病と生活支援を引き受ける。善意と献身性は本物だが、目の前の身体を美咲だと信じて疑わない。
悠人がどれほど訴えても「混乱した美咲」として慰めるため、結果的に彼の抵抗を封じ、美咲としての生活へ押し戻す存在となる。
悪意のない言葉と親切が主人公を追い詰める、日常と社会の認識を代表するキーパーソン。
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8話:サプライズの結末 になります
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