少女と中年女性、中年男性と女子高生が入れ替わる

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初めてのデートは、彼女のまま終われなかった

スカートの裾が脛にまとわりつき。

胸の重みが息を浅くしていた。

鏡の中には、知らない女が立っていた。

その日の朝、夏希は制服ではなく私服を前にして立ち尽くしていた。

部屋のベッドには、何着もの服が広げられている。

白いブラウス。

薄い水色のワンピース。

紺色のカーディガン。

どれも普段なら迷わず選べる。

だが今日は違った。

初めてのデートだった。

相手は同じ高校の二年生。

名前は翔太。

何度か一緒に帰ったことがあるだけだったが、映画へ行こうと誘われた。

それだけで胸が落ち着かなくなる。

鏡を見る。

制服ではない自分は少しだけ大人に見える気がした。

それでも、何かが違う。

「これじゃ頑張りすぎかな……」

独り言が漏れる。

スマートフォンを手に取り、夏希は友人へ連絡した。

『助けて。服が決まらない』

返事は数秒で届いた。

『行く』

短かった。

十分もしないうちに愛美が部屋へやって来る。

「そんなに大事件?」

笑いながら部屋へ入ると、散らかった服を見回した。

「うわ、本気で悩んでる。」

夏希は照れ笑いを浮かべる。

「初めてだから。」

「映画なんでしょ?」

「うん。」

「なら歩く時間も長いよね。」

愛美は一枚ずつ服を手に取る。

「可愛い服を着たい気持ちは分かる。でも今日は、自分が疲れない服がいいと思う。」

夏希は黙って頷いた。

「映画館って座る時間が長いし、公園も歩くんでしょ?」

「うん。」

「だったら、自然に笑える服。」

愛美はクローゼットの奥から一枚のトップスを引き出した。

白いレースのカットソーだった。

「これ。」

続いて黒いロングスカートを取り出す。

「合わせてみて。」

夏希は着替える。

鏡の前へ立った。

白いレースが派手すぎず、黒いスカートが全体を落ち着かせる。

背伸びし過ぎているようには見えない。

それでいて制服とは違う。

「どう?」

恐る恐る尋ねる。

愛美は少しだけ考えたあと、小さく笑った。

「夏希らしい。」

その一言だけだった。

「アクセサリーは?」

「要らないかな。」

「靴は?」

「白いスニーカー。」

「それで十分。」

夏希は鏡を見続けた。

服が似合っているというより、自分らしさを崩さない形に収まっている気がした。

「ありがとう。」

「今日は楽しんできな。」

愛美はそう言って帰っていった。

部屋には静けさだけが残る。

ハンガーに掛けられた制服を見る。

明日はまた制服を着る。

今日は少しだけ違う一日。

その程度に考えていた。

翌日は雲一つない晴天だった。

駅前には休日らしい人の流れがある。

翔太は約束の十分前に来ていた。

「おはよう。」

「ごめん、待った?」

「全然。」

少しぎこちない会話だった。

互いに照れていることだけは分かった。

「その服、似合ってるね。」

夏希は思わず視線を落とす。

「ありがとう。」

たったそれだけで耳が熱くなる。

映画館までは歩いて十五分ほど。

途中、公園を抜ける。

噴水の周りでは小さな子どもが遊び、ベンチでは年配の夫婦が話していた。

特別な景色ではない。

それでも今日は、何もかもが少しだけ明るく見えた。

映画は恋愛作品だった。

笑う場面もあり、静かな場面もあった。

上映が終わると、二人とも感想をうまく言葉にできなかった。

それでも沈黙は気まずくなかった。

映画館を出る頃には夕方になっていた。

公園へ戻る。

ベンチへ腰掛ける。

風が少しだけ涼しくなっていた。

「実は。」

夏希はスカートの裾を指先でつまんだ。

「今日の服、すごく悩んだんだ。」

「そうなの?」

「友達に相談して選んでもらったの。」

翔太は夏希を見た。

「正解だったと思う。」

「え?」

「夏希らしい。」

愛美と同じ言葉だった。

胸の奥が少しだけ軽くなる。

夕日が二人の影を長く伸ばしていた。

翔太はゆっくりと手を差し出す。

「帰ろう。」

夏希は一瞬だけ迷い、その手を握った。

手の温度が伝わる。

今日という日を忘れたくない。

そう思った。

その帰り道だった。

公園の出口で、一人の女と肩がぶつかった。

三十代半ばほどに見える女性だった。

白いレースのトップス。

黒いロングスカート。

自分とよく似た色合いの服装。

「すみません。」

同時に声が重なる。

その瞬間、世界が一度だけ静かになった。

まるで周囲の音だけが消えたようだった。

女性も立ち止まり、夏希を見る。

その表情には、自分と同じ困惑が浮かんでいた。

「あなた……。」

言葉が最後まで続かなかった。

視界が大きく揺れた。

地面が遠ざかる。

身体の重心が急に変わる。

喉が詰まり、呼吸が浅くなる。

胸の前に知らない重みがぶら下がる。

ロングスカートが脚へまとわりつき、一歩も踏み出せない。

そして、目の前には制服姿の少女が立っていた。

少女は、自分の顔で息を切らしていた。

少女は、自分の顔で息を切らしていた。

夏希は反射的に一歩踏み出そうとした。

しかし身体は思うように動かない。

腰の位置が違う。

肩の幅が違う。

足が重い。

スカートの裾が膝に絡みつき、歩幅が半分ほどしか出なかった。

「え……。」

声を出した瞬間、自分でも驚く。

少し低く、落ち着いた女性の声だった。

制服姿の少女――自分の身体は、震える手で自分の顔を触っている。

「これ……どういうこと……。」

聞き慣れた自分の声。

それが目の前の他人から聞こえる。

夏希は思わず駆け寄ろうとした。

だが二歩目で身体が前につんのめる。

胸の重みで上半身がわずかに遅れて動く。

無意識に両腕で支えようとしても、重心が合わない。

「大丈夫ですか。」

後ろから年配の男性が声を掛ける。

夏希は振り返る。

「顔色が悪いですよ。」

「だ、大丈夫です。」

自然にそう答えてしまう。

その間に制服姿の少女は夏希を見つめていた。

やがて人混みを避けるように小さく言う。

「向こうへ。」

公園の端。

植え込みの陰。

夕暮れの影が少しずつ伸びている。

二人は黙ったまま向かい合った。

制服姿の少女が先に口を開く。

「あなた……誰。」

夏希は答えられない。

「私は夏希。」

その言葉が口から出た瞬間、自分でもおかしさに気付く。

目の前の少女が首を振った。

「違う。」

少女は震えながら自分の胸に手を当てる。

「夏希は私。」

沈黙が落ちる。

夏希は恐る恐る尋ねた。

「じゃあ……あなたは。」

少女は何度か息を整えた。

「悠人。」

男の名前だった。

「会社員。」

「三十二歳。」

「今日は仕事帰りだった。」

その説明は現実味がなかった。

だが今の状況も十分現実離れしている。

夏希は目の前の少女を見つめる。

制服。

肩までの黒髪。

細い指。

それは間違いなく自分の身体だった。

「あなたの身体は……。」

悠人は視線を逸らした。

「さっきまで、向こうにいた。」

ゆっくりと夏希を見る。

「その身体。」

夏希は自分の腕を見る。

白いレースの袖。

少し日に焼けた前腕。

手首には細い腕時計。

薬指には何もない。

爪は短く整えられていた。

若い女性の手ではない。

毎日の生活で自然に荒れた指先だった。

「名前は。」

悠人が尋ねる。

「分からない。」

夏希は首を振る。

財布を探そうとして肩掛けバッグを開く。

見慣れない財布。

社員証。

運転免許証。

そこには女性の写真が貼られていた。

写真の女性がこちらを見ている。

今の自分だった。

名前。

美咲 佐伯。

三十五歳。

住所も知らない町だった。

夏希は社員証を見つめたまま動けなくなる。

「美咲……。」

その名前を口にすると、自分を呼んだような違和感があった。

悠人も制服のポケットから学生証を取り出す。

「夏希。」

互いに無言になる。

誰かが冗談を仕掛けている。

そんな可能性はもう考えられなかった。

翔太は少し離れた場所で心配そうにこちらを見ている。

「夏希?」

呼ばれる。

夏希は振り向こうとする。

しかし翔太が見ているのは、自分ではない。

悠人の入った夏希の身体だった。

悠人は一瞬だけ夏希を見る。

助けを求めるような目だった。

だが翔太は近付いてくる。

「大丈夫?」

悠人は答えられない。

夏希は声を掛けようとした。

「違う。」

そう言おうとした。

しかし周囲から見れば、自分は見知らぬ女性にすぎない。

高校生の男女へ突然話し掛ける三十五歳の女性。

それだけだった。

翔太は夏希を見ない。

悠人だけを見る。

「気分悪い?」

悠人は少しだけ口を開いた。

「うん……。」

夏希の声だった。

翔太は安心したように笑う。

「今日はもう帰ろう。」

その一言で決まってしまう。

翔太は悠人の肩へ自然に手を添えた。

夏希は動けなかった。

止める理由を誰にも説明できない。

悠人も振り返る。

何か言いたそうだった。

だが何も言えない。

二人はゆっくり歩き去っていく。

制服の後ろ姿が夕暮れへ溶けていく。

夏希は追い掛けようとした。

だが身体が重い。

足が前へ出ない。

息だけが乱れる。

バッグの重さが肩へ食い込む。

胸が上下するたび衣服が擦れ、呼吸が浅くなる。

走ることを、この身体は想定していない。

やっと数歩進んだ頃には、二人は人混みに消えていた。

立ち止まる。

辺りには普段通りの夕方が流れている。

犬を散歩する人。

買い物袋を提げた夫婦。

自転車で帰る学生。

誰もこちらを見ない。

世界は何も変わっていない。

変わったのは、自分だけだった。

バッグの中で携帯電話が鳴る。

画面には『母』と表示されていた。

夏希の母ではない。

美咲の母だった。

呼び出し音は何度も続く。

夏希は応答できず、ただ画面を見つめる。

やがて着信は切れた。

代わりに短いメッセージが届く。

「今日は帰れる? 体調は大丈夫?」

送り主は、自分を美咲だと信じている。

夏希は返信欄を開いたまま、何も入力できなかった。

夕日が沈みきる頃、公園の街灯が一本ずつ点灯する。

白いレースの袖が橙色の光を受ける。

黒いロングスカートの裾が風でわずかに揺れた。

その服は、朝まで「初めてのデートのための一着」だった。

今はもう、名前も人生も知らない女性の服になっていた。

夏希は街灯に照らされた自分の影を見下ろす。

その影は高校生のものではない。

三十五歳の女性として地面に落ちていた。

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