たまたま出会った熟女と少しずつ入れ替わっていく

ここに載せる話はサンプル版です。完成品は後日電子書籍で発刊します。

呪われた物語、ベンチで失くした僕

朝、制服のズボンに足を通そうとしたとき、太ももの内側の肉が妙に柔らかく擦れ合って引っかかった。

ベルトをいつもの穴で締めると、下腹部が圧迫されて鈍い痛みが走り、呼吸のたびに胸の皮膚がワイシャツの生地を内側から押し上げる。

鏡の中の自分の首筋には、虫刺されにしては大きすぎる、他人の指の跡のような赤い痣が居座っていた。


「悠人、早くしなさい。遅れるわよ」

階下から母親の事務的な声が響く。

悠人は喉の奥に張り付いた妙な違和感を覚えながら、「わかってる」と短く返した。

自分の声のはずだったが、心なしかいつもより響きが浅く、高い。

寝ぼけているだけだと自分に言い聞かせ、乱暴にカバンを掴んだ。  

​学校への道すがら、陸上部の短距離走で鍛えたはずの足が、どうにも頼りなく感じられた。アスファルトを蹴る感覚が鈍い。

まるで、自分の足の裏に、他人の薄くて柔らかい皮膚が一枚張り付いているかのような、奇妙な緩さがあった。

​「おはよ、悠人。なんか今日、歩き方変じゃない?」

校門の手前で追いついてきたのは、幼馴染の里奈だった。

同じ二年のクラスメイトで、陸上部のマネージャーでもある。

「そうか? ちょっと足の調子が悪いだけだ」

「ふーん。なんか、いつもより背が縮んだ気がするんだけど。気のせい?」

里奈は悠人の顔をじっと覗き込んできた。

いつもなら見下ろすはずの里奈の視線が、なぜか水平に近い位置にある。

悠人は不快感を隠すように歩調を速めたが、走ろうとするとローファーの踵がカポカポと抜けてしまい、うまく踏み込めなかった。  

​その日の部活は最悪だった。

ウォーミングアップの段階で、すでに息が上がる。

100メートル走のタイムを計測した際、顧問の教師からストップウォッチを突きつけられた。

「おい、悠人。やる気がないなら帰れ。なんだそのタイムは。女子の平均値並みだぞ」

顧問の言葉に、周囲の部員たちがクスクスと笑う。悠人は言い返す言葉も持たなかった。

ただ、走る瞬間に、胸の先端がワイシャツとインナーに擦れて、焼けるように痛んだのだ。

その痛みを庇おうとして無意識に猫背になり、腕の振りが縮こまっていた。

更衣室で一人になり、恐る恐るワイシャツのボタンを外す。

大胸筋の盛り上がりとは明らかに違う、どこか締まりのない、ぽってりとした脂肪の塊が、ほんの少しだけ、しかし確実にそこに存在していた。

触れてみると、じんわりと熱く、中の方に硬い芯のような痛みがある。

悠人は恐怖をかき消すように制服を着直し、逃げるように部室を飛び出した。  

夕方の公園は、いつも通り静かだった。

住宅街の片隅にあるその場所は、部活帰りの悠人が静かに呼吸を整えるための定位置だった。

いつものベンチに向かうと、先客がいた。

40歳前後だろうか。

年齢相応の落ち着きというよりは、どこかくたびれた生活感を纏った女性だった。

薄いベージュのカーディガンを着て、熱心に本を読んでいる。

悠人は少し離れた別のベンチに座ろうとしたが、すれ違いざま、女性の手から厚みのある本が滑り落ち、悠人の足元へと転がった。

拾い上げようとして、悠人はその本の奇妙な装丁に目を引かれた。

表紙には『呪われた物語』というタイトルが、色褪せたフォントで印刷されている。

おどろおどろしいホラー小説のようでもあり、あるいはただの古い民話集のようでもあった。

「あ、すみません。ありがとうございます」

女性が声をかけてきた。低く、しかし落ち着いた、どこか耳に馴染む声だった。それが美咲だった。

「いえ……これ、面白そうですね」

普段なら他人に話しかけることなどしない悠人だったが、なぜかその時は言葉が口をついて出た。

自分の身体の異常から、少しでも意識を逸らしたかったのかもしれない。

「面白いというか……不思議な本なんです。どこかの誰かの日記を、そのまま写したような内容で」

美咲は柔らかく微笑み、受け取った本を膝の上で開いた。

「少し、読んでみましょうか? 疲れているみたいですし」

手持ち無沙汰だった悠人は、断る理由もなく、何となく美咲の隣のスペースに腰を下ろした。

二人はそれが、怪異の始まりだとは露知らず、ただの夕暮れ時の暇つぶしとして、一冊の本を共有した。

美咲が静かにページをめくり、朗読を始める。

「『……その日、私は自分の指先が、少しずつ細くなっていくのに気づいた。爪の形が変わり、他人の手が自分の腕の先に繋がっているような感覚だった。誰もその変化に気づかない。世界はただ、私を別の何かに作り変えようとしていた……』」

その声を聴いているうちに、悠人は強烈な眠気に襲われた。

美咲の声が、鼓膜を通じて脳の奥深くまで染み込んでくる。

同時に、首筋のあの痣が、ドクドクと脈打つように熱を持った。

「……悠人くん、だったかしら。制服のネームプレート」

美咲の声が、どこか遠くで聞こえた気がした。

悠人はハッとして目を開けた。

いつの間にか、数分ほど意識を飛ばしていたらしい。

「あ、すみません。部活で疲れてて」

「いいえ、気にしないで。私もそろそろ帰らなくちゃ」

美咲は本を閉じると、立ち上がった。

その瞬間、悠人は美咲の身体に、奇妙な違和感を覚えた。

気のせいか、彼女の肩幅が、さっきより少し広く見える。

カーディガンの袖から覗く手首も、どこか骨張っているような……。

「じゃあね、気をつけて帰るのよ」

美咲はそう言って歩き去った。

その歩調は、どこか大股で、心なしか力強いものに変わっているように見えた。  

一人残された悠人は、ベンチから立ち上がろうとして、激しい眩暈に襲われた。

地面が遠い。いや、違う。自分の視線が、さっきよりも明らかに低くなっている。

慌てて自分の手を見る。

爪が、丸く、小さく変形していた。

指先は水分を含んだように柔らかく、男のそれとは明らかに違う、滑らかな曲線を描いている。

ローファーの中で、足が完全に遊んでいた。

サイズが二回りほど小さくなった足は、靴の中で前後に滑り、まともに歩くことすら拒絶しているようだった。  

自宅に戻り、自分の部屋の鏡の前に立つ。

ワイシャツを脱ぎ捨てた悠人は、恐怖で息が止まりそうになった。

胸は、昼間よりもさらに自己主張を強め、確かな重みを持って垂れ下がり始めていた。

それは決して若々しい、美少女の肉体などではなかった。

肌の張りはどこか落ち着いており、17歳の少年にはおよそ不釣り合いな、「40歳の女性」の肉体パーツが、じわじわと、しかし確実に彼の胸元を侵食していた。

手の甲には、薄いシワと、わずかな乾燥の跡が見える。

首筋の痣に触れると、他人の指先でじっくりと絞め落とされたような、鈍い痛みが走った。

悠人は、あの公園のベンチで聞いた、美咲の朗読を思い出していた。

『世界はただ、私を別の何かに作り変えようとしていた……』

呪い、という言葉は思い浮かばなかった。

ただ、身体の奥底から湧き上がる「間違っている」という感覚と、それに反比例して、この肉体がじわじわと自分の日常を侵食していく現実の重みだけが、部屋の冷たい空気の中に、淡々と存在していた。

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