
相馬蓮は、どこからどう見ても不良だった。
脱色を繰り返した黄ばんだ髪は肩まで伸び、右耳には三つ、左耳にも二つのピアスが光る。
いつも睨んでいるような鋭い目つきのせいか、薄く整えられた眉毛が余計に鋭さを増していた。
制服はだらしなく着崩し、ポケットにはいつも使い古されたタバコの箱が入っている。
吸っているわけではない。
喧嘩っ早い性格ゆえ、相手を威嚇するためのただの小道具だ。
高校二年生になったばかりの春、蓮は学校中の生徒から、そしてほとんどの教師から恐れられていた。
教師に反抗し、気に入らない生徒がいればすぐに喧嘩を売る。
蓮に逆らおうとする者は誰もいなかった。
家庭環境は放任主義。両親は共働きで、朝早く家を出て夜遅くに帰ってくる。
蓮の行動に口を出すことはほとんどなく、不良になったのも、ある意味では両親の無関心に対する反発だったのかもしれない。
自分に興味を持ってほしい。
その一心で、蓮はますます外見を派手にし、暴力的な態度をとるようになった。
文化祭の出し物を決めるためのクラス会議は、いつものように騒然としていた。
今年の二年生の目玉は、例年通りなら喫茶店だ。
しかし、蓮はそんなありきたりな企画に興味がなかった。
「つまんねぇ」と呟き、机に足を乗せて窓の外を眺めていた。
「相馬くんも少しは真面目に話し合ってよ!」
いら立った声でそう言ったのは、クラスの女子グループのリーダー的存在、成瀬玲奈だった。
玲奈は蓮とは正反対の人間だ。
成績優秀でクラス委員を務め、男女問わず人気がある。
ファッションセンスも抜群で、いつも雑誌から抜け出てきたような可愛らしい格好をしている。
蓮は玲奈を睨みつけた。
「俺には関係ねぇ。勝手に決めろ」
「そういうわけにはいかないでしょ! 文化祭はクラス全員でやるものなの!」
「あーうっせぇな。んなことより、お前らみたいなぶりっ子共がやる喫茶店とか、吐き気がするわ」
蓮の言葉に、玲奈の顔が怒りで紅潮する。
他の女子たちも不快そうに蓮を睨んでいた。
「…っ、相馬くんみたいな人に言われる筋合いはないわ! じゃあ、提案。あんまりに協力的じゃないから、罰ゲーム! 喫茶店のモデルをやってよ。もちろん、女装でね」
クラス中が「えっ」とどよめいた。
玲奈の提案は、蓮にとって屈辱以外の何物でもない。
「ふざけんな。俺が女装なんざするかよ」
「決定。相馬くんが女装して、私たちがお客さんを呼ぶための看板モデルになるの。却下なんてないわよ」
玲奈は勝ち誇ったように微笑んだ。
蓮は舌打ちをして、何も言わずに教室を飛び出した。
結局、クラスの多数決で玲奈の提案が可決された。
蓮は翌日、学校に来るとすぐに玲奈に捕まった。
「今日、放課後。部室に来て」
蓮は無視して通り過ぎようとしたが、玲奈は後ろから蓮の腕を掴んだ。
「逃げないでよね。罰ゲームなんだから」
「…うるせぇ」
その日の放課後、蓮は教室でカバンをまとめていると、数人の男子生徒に囲まれた。
「おい、相馬。玲奈たちが待ってるぞ」
「なんだよ、お前ら…」
「文化祭はクラスみんなで成功させようってことになってるんだ。お前も協力しろよ」
蓮は抵抗しようとしたが、相手は四人。
しかも、蓮と違って喧嘩には慣れていなさそうな、いわゆる「真面目な」生徒たちだ。
蓮が一人を突き飛ばそうとすると、他の三人が蓮の腕を抑え込んだ。
「やめろ!」
「悪いけど、これがクラスのためなんだ」
蓮はそのまま、まるで囚人のように部室まで連れて行かれた。
そこには玲奈と、数人の女子たちが待ち構えていた。
これから始まる罰ゲームが、蓮の人生を大きく変えることになることを、まだ誰も知らなかった。
古びた部室の中は、普段の部活の喧騒とは打って変わり、静まり返っていた。
壁には薄汚れたポスターが貼られ、使い古された運動用具が隅に積み重ねられている。
そんな埃っぽい空間に、女子たちの甘い香水の匂いが満ちていた。
蓮は、男子たちに部室の椅子に座らされ、抵抗する間もなくウィッグキャップを頭に被せられた。
乱暴に抑え込まれた髪が頭皮をチクチクと刺激する。
「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね」
玲奈はそう言って、大きな黒いロングウィッグを蓮の頭に被せた。
「…やめろ!」
「やめないよ。これは罰ゲームなんだから」
ウィッグを被せられると、鏡に映る自分の顔がなんだかひどく不自然に見えた。
脱色した眉毛と荒れた肌、そしてウィッグから覗く鋭い目つき。
そのミスマッチな光景に、蓮は思わず顔をしかめた。
「…じゃあ、始めるよ。美香、化粧道具持ってきて」
玲奈の号令で、一人の女子が大きなポーチを広げた。
中には、蓮が見たこともないようなカラフルな化粧品が所狭しと並んでいる。
ファンデーション、アイシャドウ、マスカラ、リップグロス…。
「まずはファンデーションから。相馬くん、肌荒れてるから厚めに塗らないと」
ひんやりとした感触が蓮の顔に広がる。
蓮は反射的に顔を背けようとしたが、玲奈に顎を掴まれ、逃げることはできなかった。
「ちょっと、動かないでよ!」
ファンデーションが塗り終わると、次にアイシャドウが塗られた。
薄いブラウンから、少しずつピンクのグラデーションが重ねられていく。
まぶたに触れる柔らかいブラシの感触が、なんともくすぐったかった。
「目、閉じて」
玲奈の声に従い、蓮はゆっくりと目を閉じた。
まぶたの上で筆が滑り、色が乗せられていく。
次に、細い筆先がまつ毛の生え際に沿って動く。アイラインだ。
「…っ」
あまりのくすぐったさに、蓮は思わず声を漏らした。
「痛い?」
「…くすぐったい」
玲奈はくすくす笑いながら、「はい、目開けて」と言った。
鏡の中の自分は、すでに別人のようだった。
ぼんやりとしていた目が、くっきりと縁取られている。
そして、長く伸ばされたまつ毛が、まるで蝶の羽のように存在感を放っていた。
仕上げはリップだ。
玲奈は真っ赤な口紅を蓮の唇に塗った。
「あ、それじゃなくて、こっち。グロスの方が可愛い」
美香が持ってきた薄いピンクのリップグロスが、蓮の唇に塗られる。
甘い香りが鼻腔をくすぐった。
メイクが完成すると、女子たちは満足そうに頷いた。
「完璧。別人みたい!」
「相馬くん、めちゃくちゃ可愛いじゃん!」
その言葉に、蓮は再び鏡を覗き込んだ。
そこに映っていたのは、今まで一度も見たことのない自分だった。
長い黒髪のウィッグに、ほんのりと色づいた頬、そして潤んだ瞳。
普段の鋭い目つきは、メイクによって柔らかく、儚げなものに変わっている。
「ふざけんな…」
そう呟きながらも、蓮の目は鏡から離れなかった。
まるで、魔法にかかったかのように。
自分が自分でない感覚と、不思議な高揚感が蓮の胸を締め付けた。
それは、罰ゲームに対する怒りや屈辱とは全く違う、初めて感じる感情だった。
次に着せられたのは、白いブラウスだった。
フリルがついた襟元が、普段の蓮の服装とはあまりにもかけ離れている。
その上から、まるでイラストのような青い水玉模様のワンピースを着せられた。
腰には細いベルトが巻かれ、全体をきゅっと引き締める。
足には黒いタイツ。
そして、最後に履かされたのは、大きなリボンがついたエナメルの靴だった。
鏡の中の自分は、完全に「知らない可愛い女の子」になっていた。
抵抗しようにも、もう遅かった。
女子たちは満足そうに蓮の周りを囲み、スマホを構えている。
「はい、こっち向いてー!」
「可愛い! 笑顔、笑顔!」
蓮は、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
部室に響くシャッター音と、女子たちの黄色い声。
「ねぇ、SNSにアップしていい?」
「もちろん! 『文化祭モデル練習中!』ってキャプションつけて投稿しようよ」
蓮は「やめろ!」と叫ぼうとしたが、喉がひどく乾いていて、声が出なかった。
写真を撮り終えると、女子たちは部室を片付け始めた。
しかし、蓮の女装姿はそのままだった。
「ねぇ、蓮くん。今日はそのままで帰ってね」
玲奈は意地の悪い笑みを浮かべた。
「は? ふざけんな。脱がせろよ」
「だーめ。せっかく可愛いんだから、もっといろんな人に見てもらわなきゃ」
蓮の抵抗は虚しく、着替えさせてもらえないまま、部室を出ることになった。
廊下に出ると、蓮の姿を見た男子たちがざわついた。
「おい、あれ…誰だよ?」
「え、女装!? もしかして相馬!?」
冷やかしの言葉が蓮の耳に届く。
屈辱で顔が熱くなった。
しかし、女子たちは違った。
「ねぇ、あれ相馬くん? めっちゃ可愛いんだけど!」
「あのウィッグ、どこのだろう?」
褒める声と冷やかしの声がごちゃ混ぜになり、蓮は混乱した。
玲奈はそんな蓮の様子を見て、にこやかに微笑んだ。「さ、行こうか」
蓮は逃げ出そうとしたが、玲奈に手首を掴まれ、一緒に下校することになった。
学校を出て商店街に入ると、周囲の視線が一斉に蓮に集まった。
普段の不良姿とは違う、可愛らしい女の子の格好をしている蓮は、人々の目に新鮮に映ったのだろう。
最初は、その視線がひどく居心地悪かった。
背中に汗が流れ、早く家に帰ってこの服を脱ぎたいと強く思った。
しかし、ある店の前を通りかかった時、店員のおばさんが笑顔で声をかけてきた。
「いらっしゃい、お嬢さん。お友達とデートかい?」
お嬢さん。その言葉に、蓮はどきりとした。
今まで「不良」だとか「怖い」だとか言われることはあっても、「お嬢さん」なんて言われたことは一度もなかった。
蓮は言葉を失い、ただ硬直した。
「…デートじゃないです。文化祭の…」
隣にいた玲奈が、咄嗟に蓮の言葉を遮った。
「はい、デートです! ちょっと、彼女恥ずかしがり屋なんです」
玲奈は蓮の手を引いて、そのまま店を通り過ぎた。
蓮は、商店街の賑やかな喧騒の中で、自分の心臓がドクドクと音を立てているのを感じた。
自分が「可愛い女の子」として扱われている。
それが、ひどく奇妙で、そして少しだけ、嬉しいと感じてしまっている自分に、蓮は戸惑いを隠せなかった。

女装って、おかしいこと、変なこと。
絶対自分ではやりたくない。
そんな風に思っている人程ハマっちゃうみたいですね。
吊り橋効果的な感じで、背徳感がある程一度やると抜けられなくなる。
そんな人って結構いると思う。
まあ、私は自ら楽しんでやってましたが。
続き。
家に着き、玄関の鍵を開ける。
いつものように、家の中はしんと静まり返っていた。
「…はぁ」
蓮は大きくため息をつき、リビングの鏡の前に立った。
そこには、朝とは全く違う自分が立っていた。
鏡の中の女の子は、どこか寂しげな表情をしていた。
ウィッグの下から覗く、脱色された眉毛が、どこか滑稽にも見える。
蓮は、ゆっくりとウィッグを外した。
元の、黄ばんだ髪が鏡に映る。
それから、メイクを落とすために洗面所に向かった。
クレンジングオイルで顔を洗う。
ファンデーションが落ち、アイラインが消え、リップグロスが流れていく。
鏡の中の自分は、あっという間にいつもの不良の相馬蓮に戻った。
いつもと変わらない、見慣れた顔。
しかし、蓮はなんだか物足りなさを感じていた。
さっきまで見ていた、可愛らしい女の子の顔が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。
服を脱ぎながら、蓮はふと、ワンピースの裾に触れた。
「ちょっとだけ…また着ても…」
そんな考えが、蓮の頭をよぎる。
もちろん、すぐにその考えを振り払った。
「何考えてんだ、俺は!」
だが、その夜、蓮は押し入れの奥に隠したウィッグとワンピースを、こっそり取り出していた。
そして、誰にも見られないように、そっと着てみる。
鏡の前に立つと、またあの「知らない女の子」が立っていた。
胸が、きゅっと締め付けられる。
翌日、学校で玲奈がまた蓮に話しかけてきた。
「ねぇ、放課後。また部室に来てね」
蓮は反発した。「もう、やらない」
「えー? でも、文化祭本番までには、もっと練習が必要でしょ? ほら、メイクも自分でできるようにしないと、大変だよ」
玲奈は、まるで蓮が女装に乗り気であるかのように話す。
蓮は、またもや言い返せなかった。
心の中では、「絶対に嫌だ」と思っているのに。
しかし、同時に、「もう一度、あの姿になりたい」というもう一つの声が、蓮の心を占めていた。
結局、蓮は、なぜか玲奈の誘いを断ることができなかった。
放課後、部室で再び女装した蓮は、玲奈に連れられて街に出ることになった。
「人前で自然に振る舞える練習、ね。それ、本当に必要なのか?」
蓮がそう聞くと、玲奈は「もちろん!」と笑顔で答えた。
「本番でガチガチになってたら、お客さん引いちゃうでしょ? だから、今のうちに慣れておくの」
蓮は仕方なく、玲奈の提案に従った。
二人は駅前のショッピングモールを歩いた。
女子二人組、という設定で、玲奈は楽しそうに蓮に話しかける。
「ねぇ、あそこの服、可愛くない?」
蓮は、玲奈の言葉に相槌を打ちながら、周囲の視線に神経を尖らせていた。
しかし、もう昨日ほどの居心地の悪さはない。
むしろ、自分たちが普通の女子高生として見られていることが、なんだか嬉しかった。
「あの子たち、可愛いね」
通りすがりのカップルの会話が、蓮の耳に届く。
蓮は思わず、俯いてしまった。
玲奈は、蓮をアイスクリーム屋に連れて行った。
「はい、あーん」と玲奈がスプーンを差し出す。
「ふざけんな!」と蓮は反射的に怒鳴ったが、玲奈はひるまない。
「練習、練習! 可愛い女の子は、こういうことするの」
玲奈に言われるがまま、蓮はスプーンに乗ったアイスを口に運んだ。
ひんやりとした甘さが、口の中に広がる。
服屋を覗いたり、プリクラを撮ったり。
初めての経験ばかりだった。
プリクラには、蓮と玲奈が楽しそうに写っている。
蓮は、そのプリクラをまじまじと見つめた。
「本当だ…可愛い」
誰にともなく、蓮は呟いていた。
その日の帰り道、蓮と玲奈は、蓮の不良仲間である不良グループと鉢合わせした。
しかし、蓮の女装姿を見た不良グループは、一瞬静まり返った。
「…誰だ、この子?」
田中が、不審そうに蓮を睨む。
蓮は、内心でひどく動揺していた。
バレたら、何を言われるか分からない。
しかし、玲奈がすかさず口を開いた。
「私の友達です。文化祭のモデルをしてくれることになって」
「へぇ…可愛いじゃん」
不良仲間の一人が、そう呟いた。
蓮は、胸がざわつくのを感じた。
まさか、自分が「可愛い」と不良仲間に言われるなんて。
蓮は、何も言わずに俯いていた。
不良グループは、蓮の正体に気づくことなく、そのまま通り過ぎていった。
その夜、蓮は家に帰り、ベッドに倒れ込んだ。
不良としての自分と、可愛い女の子としての自分。
どちらも、自分だ。
だが、どちらも、自分ではないような気がした。
学校では、相変わらず不良の相馬蓮として振る舞っていた。
授業中は机に突っ伏し、気に入らないやつがいれば睨みつける。
しかし、その実態は、まるで二重生活を送っているかのようだった。
夜になると、蓮はこっそり押し入れの奥からウィッグと服を取り出す。
鏡の前に立ち、メイクを施す。
最初は、ただの好奇心だった。
しかし、いつからか、鏡の中の「可愛い女の子」を見るのが、蓮の唯一の楽しみになっていた。
ネットでメイク動画を見るようになった。
アイラインの引き方、アイシャドウのグラデーションの作り方。
今までは全く興味のなかったことばかりだった。
新しいリップグロスを買ってみたり、可愛いヘアピンを探してみたり。
蓮は、少しずつ「可愛い自分」を磨き上げていった。
そんな蓮の様子に、玲奈は気づいていた。
ある日の放課後、部室でメイクの練習をしていると、玲奈が蓮に言った。
「ねぇ、蓮。もう、楽しいんでしょ?」
蓮は、ギクリとして玲奈を見た。
「…は? 何がだよ」
「女装。もう、罰ゲームじゃないんでしょ? だって、蓮、すっごく楽しそうにメイクしてるんだもん」
蓮は何も言い返せなかった。玲奈の言う通りだった。
最初は屈辱以外の何物でもなかった女装が、いつの間にか蓮の日常に溶け込んでいた。
「可愛いのが、好きになったんでしょ?」
玲奈は、そう言って微笑んだ。
蓮は、何も言わずに俯いた。
もう、不良としてのプライドは、ほとんど崩れ落ちていた。
文化祭当日。
蓮は、いつもの不良の制服ではなく、白のブラウスと水玉のワンピースに身を包んでいた。メイクもばっちりだ。
クラスのカフェは、たくさんの生徒で賑わっていた。
蓮は、看板モデルとして、入り口に立っていた。
「写真撮ってください!」
「めっちゃ可愛い!」
女子生徒や、他校の男子生徒に囲まれ、蓮は笑顔を振りまいていた。
最初はぎこちなかった笑顔も、今では自然に出るようになった。
「文化祭楽しんでる?」
玲奈が蓮に話しかける。
「うん」と答えると、玲奈は満足そうに微笑んだ。
その時、蓮は、玲奈が最初からこの結末を知っていたのではないか、と思った。
蓮のプライドを打ち砕き、そして新しい自分を提示する。
玲奈は、まるで蓮の人生の導き手のような存在だった。
文化祭が後半に差し掛かった頃、蓮の不良仲間たちがカフェにやってきた。
蓮は、一瞬で顔がこわばった。
不良仲間たちは、蓮の姿を見て、一瞬凍りついた。
「おい、あれ…蓮じゃねぇか?」
田中が、信じられない、という表情で蓮を指差した。
蓮は、どうしていいか分からなかった。
逃げたい。しかし、体が動かない。
その時、蓮の隣に立っていた、蓮の唯一の理解者だった友人が、田中たちの前に立った。
「いやいや、似てるだけだろ。相馬がこんな格好するわけないじゃん」
友人は、必死に誤魔化そうとしていた。
田中は、訝しげに蓮と友人を見比べたが、結局「そうか…」と納得した。
不良仲間たちは、何も言わずにカフェを後にした。
蓮は、安堵から力が抜け、その場にへたり込みそうになった。
文化祭が終わり、片付けが始まった。
蓮は、着替えるために部室に戻った。
「ありがとう、蓮。すごく助かったよ」
玲奈が、蓮に礼を言う。
蓮は、ワンピースを脱ぎながら、玲奈に言った。
「…もう、女装はやめる」
玲奈は、蓮の言葉に微笑んだ。
「そっか。でも、いつでも戻っておいで」
「…もう、戻らない」
蓮は、そう言いながらも、どこか寂しげな表情をしていた。
玲奈は、そんな蓮の気持ちを察したのか、何も言わずにただ蓮を見つめていた。
家に帰り、自分の部屋に戻った蓮は、鏡の前に立った。
そこに映っているのは、いつもの不良の相馬蓮だ。
汚れた制服に、乱れた髪。
蓮は、服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びた。
そして、押し入れの奥から、再びワンピースを取り出した。
鏡の前に立つ。
蓮は、ゆっくりと、しかし確かな手つきで、メイクを施していく。
ファンデーションを塗り、アイシャドウを重ね、リップグロスを塗る。
ウィッグを被り、ワンピースに袖を通す。
そして、鏡の中に映ったのは、紛れもなく、あの「可愛い女の子」の姿だった。
最初は、罰ゲームという「檻」の中に押し込められたように感じていた。
しかし、いつからか、この「檻」は、蓮を守る居場所になっていた。
不良としての自分を隠し、本当の自分をさらけ出せる、もう一つの「私」。
蓮は、鏡の中で、そっと微笑んだ。
それは、今までの蓮が一度も見せたことのない、心からの笑顔だった。



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