
放課後、いつも通りの喧騒に包まれた教室で、僕はぼんやりと空を見上げていた。
梅雨明けが近いのか、湿気を含んだ空気が肌にまとわりつく。
早く帰って、買ったばかりのゲームを始めたい。
そんなことを考えていた矢先、背後から突然、嵐のような声が飛んできた。
「ねぇ、悠真(ゆうま)、ちょっと付き合ってよ!」
反射的に振り返ると、そこにはクラスメイトであり、そして幼馴染の結(ゆい)が、仁王立ちで僕の腕を掴んでいた。
細いようでいて、意外なほど力強いその手に、僕は思わず呻く。
「な、なんだよ、怖い顔して……まさかまた、忘れ物でもしたのか?」
結は眉間にしわを寄せ、ぷくりと頬を膨らませた。
その仕草は、昔から変わらない。
小学生の頃から、何かと僕を巻き込んできた張本人だ。
「違うってば!もっと大事なこと!プリクラ行こ!今ね、期間限定の魔法のプリズムっていうフレームがあってね、めっちゃ盛れるんだよ! 女子の間じゃ超話題なんだから!」
熱弁を振るう結の瞳は、期待と興奮でキラキラと輝いている。
話題のプリクラ、盛れるフレーム。
僕には全く縁のない言葉の羅列だった。
「……は?なんで俺が?」
僕は心の底から疑問を呈した。
プリクラなんて、女子がキャーキャー言いながら撮るもので、男である僕がそこに加わる意味がわからない。
「だーかーらー、男子の意見も聞きたいの!ほら、悠真って童顔だし、中性的な顔してるから、きっと可愛く写るよ〜?女の子の服とかも似合いそうだし!」
結は僕の顔をじろじろと見つめ、そう言ってニヤニヤと笑った。
その言葉に、僕の額に青筋が浮かび上がる。
童顔だの、女の子っぽいだの、散々言われてきたことだが、幼馴染にまで言われるとさすがにムカつく。
「なんだそれ。可愛いとか、お世辞でも嬉しくねえよ。それに、女子の服が似合うとか、余計なお世話だ!」
「えー、別に褒めてないし?ただ事実を言っただけだし?」
ケラケラと笑う結に、僕は言い返す気力も失せた。
昔からそうだ。結にはいつも、僕のペースが乱される。
彼女の強引さに逆らったところで、結局は丸め込まれてしまうのが常だった。
ため息をつきながら、僕は諦めにも似た感情で頷いた。
「わかったよ、わかった。行くよ、行けばいいんだろ。どうせお前は僕の意見なんて聞かないんだから」
「やったー!さすが悠真!話がわかる!」
結は僕の腕を掴んだまま、ぐいぐいと僕を引っ張っていく。
まるで散歩に連れて行かれる大型犬になった気分だった。
ゲームセンターは学校から歩いて五分ほどの場所にある。
短い時間ではあったが、その道中、結はプリクラについて熱く語り続けた。
どのフレームが可愛いとか、どんなポーズをすると盛れるとか、男子には全く理解できない話ばかりだ。
僕は相槌を打ちながらも、内心では早くこの時間が終わってほしいと願っていた。
ゲームセンターの自動ドアをくぐると、途端にけたたましいゲーム音が耳に飛び込んできた。
熱気と興奮が渦巻くフロアを進む結の背中を追いながら、僕は少しだけ不安を感じていた。
本当に、このまま結に付き合っていても大丈夫なのか?
そんな漠然とした予感が、胸の奥でひっそりと芽生えていた。
プリクラ機の前に立つと、結は一瞬にして目を輝かせた。
その表情は、まるで初めておもちゃを与えられた子供のようだ。
「わー!すごい!やっぱりこの機械、最新のだ!ねぇ悠真、見て!このライトとか、なんかいつもと違う感じがしない!?」
結が指差す先には、確かに通常のプリクラ機とは一線を画す、やたらと派手な装飾が施された機械が鎮座していた。
機械の周囲には、七色の光を放つ小さなプリズムのような飾りがいくつも取り付けられており、それが幻想的な雰囲気を醸し出している。
「へえ、まあ、派手だな……」
僕は素っ気なく答えた。
正直なところ、どんなに派手な機械だろうと、僕にとってはただのプリクラ機に過ぎない。
「もう!もっと感動してよ!じゃ、さっそく入ろ!」
結はそう言って、僕の腕を掴んだままプリクラ機のカーテンを勢いよく開けた。
中に入ると、外の喧騒が嘘のように遠のき、まるで異世界に迷い込んだかのような錯覚に陥った。
壁一面に貼られたキラキラとしたシールや、意味不明なキャラクターのイラスト。
そして、やたらと明るい照明が、僕たちの顔を照らし出す。
独特の甘い匂いが充満していて、僕は少しだけ居心地の悪さを感じていた。
結は慣れた手つきで操作パネルに向かう。
僕がボタンの配置すら理解できないうちに、彼女はテキパキと画面をタップしていく。
「えーっと、まずはコース選択っと……よし、これでいいかな!はいっ、魔法のプリズムフレーム選択っと……!ふふっ、いくよ!」
結が楽しそうに笑い、僕の方を振り返った。
その笑顔に、僕は一瞬だけ目を奪われた。
いつもはうるさいだけの幼馴染だが、こうして無邪気に笑う顔は、時折ハッとするほど可愛らしく見えることがある。
しかし、次の瞬間にはその思考を打ち消すように、僕は慌てて顔を逸らした。
「ま、待てって……!まだ心の準備が……」
僕が言い終わる前に、結は既にシャッターボタンに指をかけていた。
彼女の指がボタンを押し込んだ、その刹那――。
カシャッ!
強烈なフラッシュが、僕たちの視界を容赦なく襲った。
普段のプリクラのフラッシュとは比べ物にならないほど強力な光に、僕は思わず目を瞑る。
視界が一瞬、真っ白に染まり、何も見えなくなった。
強烈な光は、僕の脳裏に焼き付くように残り、まるで幻覚を見ているような感覚に陥った。
全身の細胞が、一斉に逆立つような、奇妙な浮遊感。
そして、何かが身体の中からすり抜けていくような、漠然とした喪失感に襲われた。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
一瞬だったようにも、永遠のようにも感じられたその閃光の後、僕はゆっくりと目を開いた。
最初に感じたのは、床の冷たさだった。
僕はプリクラ機の中ではなく、フロアの片隅に座り込んでいた。
「……っ、あれ……?」
視界が、違う。いつもより少しだけ、視点が高いような気がする。
それに、なんだかぼんやりとしている。いや、それよりも、身体が軽い。
いつもは、もう少しずっしりとした重みを感じるはずなのに。
「これ……なんだ?」
自分の身体を見下ろす。
制服は着ている。
しかし、僕が着ているはずの男子制服ではない。
スカート。ブレザー。胸元には、見慣れないリボンが結ばれている。
そして、その胸には、ふっくらとした膨らみが……。
「う、嘘だろ……」
思わず触れてみる。
柔らかい感触。
明らかに、僕の身体ではない。
そして、目の前で揺れる、肩まで伸びた髪。
いつもは短く刈り込んでいるはずの僕の髪が、こんなに長いはずがない。
「ちょっ!? これ、誰の体だよ!?」
混乱した僕の声が、いつもよりも少しだけ甲高く響いた。
僕の声じゃない。僕の身体じゃない。一体、何が起きているんだ?
その時、背後から、聞き慣れた、そして聞きたくない声がした。
その声は、悪戯っぽく、そしてどこか愉快そうに、僕を呼んだ。
「やっほ〜悠真♪」
恐る恐る振り返る。そこに立っていたのは、僕の制服を身につけ、僕の顔で、しかし全く僕ではない表情でニヤニヤと笑っている誰かだった。その、僕の顔をした誰かは、僕の普段の無愛想な表情とはかけ離れた、悪役のような笑みを浮かべていた。
「おい……まさか、お前……結か!?」
僕の問いに、僕の顔をした結は、僕の口調を真似て、わざとらしく頷いた。
「ビンゴ〜!いやぁ、まさか本当に入れ替わっちゃうなんてね!魔法のプリズムって名前、伊達じゃないってことか!すごいね、悠真の身体って、なんか思ったより筋肉質だね!わー、男の人ってこんな感じなんだ!」
結は僕の身体を好奇心旺盛に触りまくっている。
自分の身体が、今、結の好き放題にされている状況に、僕の頭は真っ白になった。
脳みそが沸騰しそうなほどの怒りと混乱が、同時に押し寄せてくる。
「喜んでる場合かあああああああああ!!!」
僕は叫んだ。
甲高い、しかし確かに僕ではない声で。
結の身体に入ってしまった僕の叫びは、しかしゲームセンターの喧騒にかき消され、誰にも届くことはなかった。
僕たちの奇妙な日常は、この瞬間、唐突に始まったのだった。
ゲームセンターの片隅で、僕たちは口論を続けた。
僕の身体に入った結は、状況を楽しんでいるかのように、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「だからさ、悠真。ちょっと落ち着きなよ。どうせ一時的なもんでしょ?すぐに元に戻るって!それよりさ、この身体、意外と悪くないね!なんか、視界が新鮮!」
「落ち着いていられるか!お前、鏡見てみろ!俺の顔でニヤニヤしてんじゃねえよ、気持ち悪い!」
僕がそう叫ぶと、結は僕の身体の頬をぷくりと膨らませた。
僕が普段見せるような、不機嫌そうな仕草が、僕の顔で再現されることに、僕は鳥肌が立った。
「それはこっちのセリフだってば!あんたのその可愛い顔で、そんな男みたいな声出すの、違和感ありすぎなんだって!それに、このスカート、短すぎない?下着が見えそうで落ち着かないんだけど!」
結(中身は悠真)は、自分が着ているスカートを引っ張りながら不満を口にした。
その言葉に、僕は自分が今、女子の制服を着ていることを改めて思い出し、羞恥心が沸き上がってきた。
「うるさい!とにかく、どうするんだよこれ!このままじゃ、家にも帰れないだろうが!」
「えー、別にいいじゃん。うちの両親、今日は帰り遅いから大丈夫!悠真の家には適当に電話して、なんか部活で遅くなるって言っておくから。ね、そうしよ!」
有無を言わさぬ勢いで、結は僕の腕を掴み、ゲームセンターを後にした。
そのまま、僕は結に連れられて彼女の家に行く羽目になった。
結の家は、僕の家から徒歩10分ほどの場所にある、どこにでもあるような一軒家だ。
何度か遊びに来たことはあるが、泊まるのは初めてだった。
しかも、この状況で。
結の部屋に入ると、そこは女子特有の甘い香りがした。
可愛らしいぬいぐるみや、雑誌が散乱している。
僕の部屋とは正反対の空間に、僕は早くも戸惑いを覚えていた。
「さて〜、まずは女子の基本から教えてあげよう♪」
僕の身体に入った結は、満足げな顔で僕を見下ろした。
その表情は、まるでベテラン教師が生徒を指導するかのようだった。
「やめろ、その顔で俺の口調使うな、気持ち悪い!」
「それはこっちのセリフだってば!ほら、まずは着替えだよ。悠真、サイズ合うか心配だけど、私の部屋着でいいかな?」
そう言って結が差し出してきたのは、フリルが付いた可愛らしいパジャマだった。
僕は一瞬たじろいだが、着替えないわけにはいかない。
しかし、いざ着替えようとして、僕は最初の試練に直面した。
「は?これ、履くの?この布少なっ……」
僕が手にしたのは、結の……いや、この身体の、下着だった。
小さすぎるその布に、僕は衝撃を受けた。
僕が普段身につけているトランクスとは、あまりにもかけ離れた形状だ。
「えー、何言ってるの悠真!当たり前じゃん!それ、私のお気に入りのやつだから、破かないでよ?」
結は呆れたように僕を見た。
僕は恐る恐る、その下着を身につけた。
あまりの薄さと、今まで感じたことのない締め付け感に、全身がムズムズする。
「いやいや、それはまだマシ。ストッキングの履き方とかわかる?女子の制服には、ストッキングが必須なんだよ。お風呂のときシャンプーとかどうする?髪、長いんだからちゃんとリンスも必要だし。スキンケアもだよ?化粧水とか乳液とか、ちゃんとつけないと肌荒れしちゃうんだからね!」
結は矢継ぎ早に、僕が今まで一度も考えたことのない「女子のたしなみ」を捲し立ててくる。
僕はただ、呆然と彼女の言葉を聞いていた。
風呂に入ることすら、こんなにも複雑なものだったのか。
「……女子、大変すぎだろ」
僕の呟きに、結はニヤリと笑った。
「でしょ?でもその分、可愛くなれるんだから♪さあ、悠真、早く着替えなよ。お腹も空いたでしょ?なんか食べさせてあげるから!」
結は僕の身体を引っ張り、僕を風呂場に押し込んだ。
僕は茫然自失のまま、初めての「女子の入浴」を体験することになった。
長い髪の毛を洗う手間、全身に塗るボディソープの甘い香り、そして、湯船に浸かった時の身体の軽さ。
全てが、僕にとって未知の感覚だった。
湯船から上がると、鏡に映る自分ではない「自分」の姿に、僕は改めて衝撃を受ける。
いつも見慣れた僕の顔に、見慣れない長い髪。
そして、胸元には確かに膨らみがある。
違和感しか感じない。本当に、これは一時的なものなのだろうか。
僕は不安と、そして僅かな好奇心とが入り混じった複雑な感情を抱えながら、結の用意してくれた夕食を口にした。
その夜、僕は結の部屋で、慣れないパジャマを着て眠りについた。

プリクラなんて最後に撮ったのいつだろう?
大昔は男だけでも撮れたんですけどね。
今は女性がいないと撮れないとか、男性差別ですか?
まあ、それで困ったこともないんですけどw
続き ー続・入れ替わり生活ー
翌朝――。 目覚まし時計の音で目が覚めた。だが、いつもとは違う。枕の感触、布団の柔らかさ。全てが、僕の部屋とは異なっていた。そして、瞼を開くと、目に飛び込んできたのは結の部屋の見慣れない天井だった。
「お、おはようございます……」
隣の布団で寝ていた僕の身体に入った結が、欠伸をしながら声をかけてきた。その声は、僕の普段の声よりも少しだけ低く、眠たげな響きがあった。
「お、おはよう……」
僕もまた、結の身体で、少しだけ甲高い声で挨拶を返した。
昨夜、眠りにつく前は「朝には元に戻っているかもしれない」という淡い期待を抱いていたが、現実は無情だった。
僕たちは、依然として入れ替わったままだった。
朝食は、結が僕の身体で手際よく作ってくれた。
普段の僕からは想像もつかないような、家庭的な動きに、僕は複雑な気持ちで彼女を見ていた。
「悠真、早く食べなよ。学校遅れちゃうよ?」
僕の顔でそう言われると、なんだか自分が自分に急かされているようで、奇妙な気分だった。
そして、登校時間。
結の制服を着て、僕は結の家を出た。
慣れないパンプスは、足の裏に妙な感覚をもたらす。
短いスカートは、風が吹くたびにひらひらと舞い上がり、僕はそのたびにソワソワした。
「きゃー!結ちゃん、今日も可愛いー!」
学校の昇降口で、女子生徒たちの黄色い声が僕を襲った。
結のクラスの女子だろうか、僕の姿を見て駆け寄ってきた。
彼女たちは、僕の…いや、結の腕を掴み、キャーキャーと騒ぎ立てる。
「えへへ……(マジで無理だこれ)」
僕は愛想笑いを浮かべながら、心の中で絶叫した。
この可愛らしい仕草を、僕の…いや、結の身体で演じていることが、あまりにも苦痛だった。
女子たちの視線が、普段とは違う意味で僕に突き刺さる。
僕の顔は火照り、心臓がバクバクと音を立てていた。
教室に入ると、男子生徒たちの視線も、いつもとは違って感じられた。
気のせいか、僕の…いや、結の姿を見る視線に、どこか熱っぽいものが混じっているような気がした。
「結、今日の英語の課題、教えて〜」
隣の席の女子生徒が、僕に話しかけてきた。
僕は内心で悲鳴を上げた。
英語の課題?結の課題なんて、知るわけがない。
僕は自分の課題をこなすだけで精一杯なのだ。
「へっ!? あ、あぁ……えっと……(知らんがな!!)」
僕は適当に誤魔化そうと、「ちょっと、後でね」と曖昧な返事をしたが、その場をしのぐのが精一杯だった。
授業中も、僕は神経をすり減らし続けた。
先生に指名された時の焦り、女子たちの内緒話に耳を傾けてしまう居心地の悪さ。
休み時間には、結の女子グループに混じって、他愛もないお喋りに参加しなければならなかった。
それは、僕にとって拷問以外の何物でもなかった。
女子の話題は、僕が普段触れることのないものばかりだ。
コスメ、ファッション、アイドルの話。
僕は必死に相槌を打ち、笑顔を作った。
トイレに行くのも一苦労だった。
女子トイレに入る時の、なんとも言えない緊張感。
個室に入ってから、ようやく息を吐き出すことができた。
給食の時間も地獄だった。
結のクラスは、僕のクラスよりも女子生徒が多い。
賑やかな女子たちの輪の中で、僕はほとんど喋ることができなかった。
「結ちゃん、どうしたの?今日、なんか静かじゃない?」
心配そうに声をかけてくる女子に、僕は「え、あ、うん、ちょっとね」と曖昧に答えるしかなかった。
早くこの一日が終わってほしい。
心の底からそう願った。
一方、悠真の身体に入った結は、僕とは対照的に、この状況を謳歌しているようだった。
「やっほー☆今日の悠真、やたらテンション高くない?」
僕のクラスの友人が、結(中身は悠真)に話しかけた。
その友人の言葉に、結は僕の顔でニカッと笑った。
「そう?なんか今日はイケてる気がして〜!いつもと違う自分って感じで、新鮮なんだよね!」
結は僕の身体を、まるで自分のもののように自由自在に動かし、普段の僕からは考えられないような明るい声で喋り続けていた。
僕がいつもクールを装っているからか、周りのクラスメイトたちは、僕の異変に気づきながらも、どこか面白がっているようだった。
昼休み、僕は女子トイレで、こっそりと結(中身は悠真)の様子を窺っていた。
男子トイレから出てくる僕の姿をした結は、男子生徒たちに囲まれ、何やら楽しそうに話している。
「おい、結、何やってんだ……」
僕は女子トイレの個室で、壁に頭を打ちつけたい衝動に駆られていた。
そして、その数分後、衝撃的な情報が僕の耳に飛び込んできた。
「えっ!?あの結ちゃんが告白!?相手は……悠真!?」
「マジで!?悠真、結ちゃんのこと好きなの!?意外すぎなんだけど!」
女子トイレの個室で、僕は隣の個室から聞こえてくる会話に耳を疑った。
僕のクラスの女子生徒たちが、ひそひそと話している。
その内容に、僕は心臓が凍りつくような感覚を覚えた。
「ば、ばかっ、何してんだアイツ!!」
僕は思わず叫んだ。
だが、女子トイレの騒がしさにかき消され、僕の声は誰にも届かなかった。
放課後、僕は結(中身は悠真)に詰め寄った。
場所は、誰にも聞かれないように、人気のない裏庭だ。
「おい、お前、何したんだ!なんで俺の身体でそんなことするんだよ!」
僕は結の腕を掴み、怒りをぶつけた。
だが、結は涼しい顔で僕を見上げた。
僕の顔で、その涼しい顔をされるのが、僕の怒りをさらに煽った。
「え?だって、私、悠真のこと結構前から気になってたし?それに、せっかく悠真の身体になったんだから、言ってみてもいいかな〜って思ってさ!告白しちゃった!もちろん、断られたけどね!」
結は悪びれる様子もなく、あっけらかんと言い放った。
僕は絶句した。
自分の身体を勝手に使われた上に、僕が断られたという事実まで突きつけられるとは。
「ふざけるな!俺は別に、お前のことなんて……!」
僕が言いかけた言葉を、結は遮った。
「あ、でもね、悠真の身体って、なんか告白しやすいかも!普段はクールなイメージだから、ちょっと意外で、相手の子もドキドキしてたみたいだよ?ふふ、面白かった〜!」
結は僕の身体で、僕の普段の無愛想な表情とはかけ離れた楽しげな笑みを浮かべた。
その無邪気な笑顔が、僕の怒りに油を注いだ。
「お前……!もう勝手なことするな!これ以上、俺の人生を滅茶苦茶にするな!」
僕は怒りのあまり、声が震えた。
結は僕の剣幕に、少しだけ怯んだようだったが、すぐにいつもの調子に戻った。
「えー、別にいいじゃん。だって、私だって悠真の身体になったんだよ?女子って大変なんだからね?毎日スカートに気を遣って、メイクもして、髪もセットして……。悠真だって、少しは私の苦労を味わってみなよ!」
結の言葉に、僕は何も言い返すことができなかった。
確かに、僕も結の身体で、女子として生きることの困難さを痛感していた。
僕たちの入れ替わりは、周りの人々にも徐々に波紋を広げ始めていた。
僕のクラスでは、僕の奇妙な行動が話題になり、結のクラスでは、僕の姿をした結の言動が、一種の都市伝説のように語られ始めていた。
入れ替わり生活が始まって一週間が経った頃、僕は結の身体で、とある男子生徒に呼び出された。
その男子生徒は、クラスの人気者である直樹だった。
直樹は、爽やかな笑顔が特徴の、誰にでも優しいタイプだ。
「結ちゃん、ちょっといい?」
放課後、人気のない廊下で、直樹は僕に声をかけてきた。
僕は心の中で動揺していた。
(うわっ……どうしよう。まさか、告白とかじゃないよな……)
結の普段の行動を考えると、あり得なくはない。
僕は緊張で、ごくりと唾を飲み込んだ。
「前から、結ちゃんのことが気になってたんだ。良かったら、俺と付き合ってほしい」
直樹は、真っ直ぐに僕の目を見て、そう言った。
彼の真剣な眼差しに、僕は言葉を失った。
心臓がドクドクと音を立てる。
中身は男の僕なのに、なぜか胸が締め付けられるような、不思議な感覚に襲われた。
(いや、俺、中身男なんですけど!?どうすんだこれ!?)
僕はパニックになった。
正直に言うべきか?いや、それでは状況がさらに混乱するだけだ。
結なら、なんて答えるだろうか?
結だったら、きっと、もっと可愛く、相手を傷つけないように断るはずだ。
僕は必死で言葉を探した。
「ご、ごめん……今はそういうの、考えられなくて……」
僕は蚊の鳴くような声で、そう答えるのが精一杯だった。
直樹は少しだけ残念そうな顔をしたけれど、すぐにいつもの爽やかな笑顔に戻ってくれた。
「そっか……。うん、わかった。急にごめんね。でも、俺、諦めないから!これからも、友達として、仲良くしてほしいな」
直樹はそう言って、僕に優しい笑顔を向けてくれた。
僕は、ただ頷くことしかできなかった。
彼の優しさに、僕は胸がチクチクと痛んだ。
彼の好意に応えられないことへの罪悪感と、そして、彼が僕の…いや、結の身体に好意を寄せていることへの、なんとも言えない複雑な感情が入り混じっていた。
その日の夜、結の家で、僕は今日あった出来事を結に話した。
僕の身体に入った結は、ソファに寝そべって、スマホをいじっていたが、僕の話を聞くと、ガバッと起き上がった。
「えー!マジで!?直樹くんに告白されたの!?すごーい!ねぇねぇ〜モテる気分はどうだった?やっぱり、ドキドキした?」
結は、まるで自分のことのように興奮している。
その無邪気さに、僕の怒りが再び込み上げてきた。
「お前……!面白がるな!俺は内心、めちゃくちゃ焦ったんだぞ!どうやって断ればいいか、わかんなかったんだからな!」
「えー、でもさ、悠真。ちょっとは嬉しかったんじゃないの?あんなイケメンに告白されてさ?」
結の言葉に、僕は思わずムッとした。
嬉しい?そんなわけないだろ。
僕は男だ。しかし、心のどこかで、ほんの少しだけ、確かに「ドキリ」とした自分がいたのも事実だった。
その感情を、僕は認めたくなかった。
「うるさい!嬉しくなんかない!とにかく、お前、俺の身体で何やってんだよ!もう、勝手なことするな!」
「えー、別にいいじゃん。悠真だって、私の身体で、女子の生活楽しんでるんでしょ?」
結は僕の言葉に、反撃してきた。
確かに、僕も結の身体で、いくつかの「女子ならでは」の体験をしていた。
女子会に参加したり、スカートをはいたり、メイクをしたり……。
最初は戸惑いしかなかったが、慣れてくると、少しだけ、新しい発見があるのも事実だった。
「だいたい、悠真だって、私の身体になったからって、学校で男子と喋りすぎじゃない?なんか、私の知らない女子と楽しそうに喋ってるし……。ちょっと、やきもち焼いちゃうんだけど?」
結の言葉に、僕はハッとした。
やきもち?まさか、結が僕にそんな感情を抱いているとは。
僕の顔に、戸惑いの表情が浮かんだ。
結は、僕のその表情を見て、フッと笑った。
「ふふ、冗談だよ。でもさ、悠真。私、悠真が私の身体に入って、悠真の新しい一面が見れた気がするんだ。なんか、意外と女子力高いんだなって。メイクとかも、最初よりずっと上手くなってるし」
「……褒められても嬉しくない」
僕はそっぽを向いた。
しかし、結の言葉は、僕の心を少しだけ、温かくした。
この入れ替わり生活は、僕たち二人の間に、今までにない感情を芽生えさせていた。友情だけでは語れない、複雑な、そして少しだけ甘酸っぱい感情。
それは、互いに対する理解と、そして、お互いを意識し始める「恋」のような、淡い感情だった。
数日経っても、元に戻る気配はなかった。
僕たちは、この奇妙な入れ替わり生活が、いつまで続くのか、いや、本当に元に戻れるのか、という不安を抱え始めていた。
「どうするよ……これ、このままだったら……」
僕の身体に入った結は、珍しく不安そうな顔で呟いた。
僕の顔に浮かぶその表情は、僕の心をざわつかせた。
「そうだな……。このまま一生、俺たちが入れ替わったままだったら、どうなるんだ?」
僕は結の身体で、窓の外を眺めながら言った。空は、どんよりとした曇り空だった。僕たちの心境を表しているかのようだ。
「うーん……。まぁ、悪くないけどね」
結は少しだけ考えた後、意外なことを口にした。
僕の顔に、少しだけ笑みが浮かぶ。
「は?悪くないって、何言ってんだよ。俺は毎日、お前の身体で女子やってんのが、もう限界だってのに」
僕がそう言うと、結は僕の顔で、少しだけ得意げな表情をした。
「だってさ、悠真、ちゃんと毎朝メイクしてるし、スカートの扱いも慣れてきたし。最初はぎこちなかったけど、最近は、なんか堂々としてるよ?それに、女子の友達とも、楽しそうに話してるじゃない?」
結の言葉に、僕は思わず頬が熱くなった。
確かに、最初の頃は地獄だった女子の生活も、少しずつ慣れてきていた。
スカートの裾を気にせず歩けるようになったし、メイクも、結に教えてもらった通りに練習した結果、少しはサマになってきていた。
女子の友達との会話も、以前よりは自然にできるようになった気がする。
「……褒められても嬉しくない」
僕は照れ隠しに、そっぽを向いた。
だが、内心では、結にそう言われたことが、少しだけ嬉しかった。
一方の結も、男子として生きる中で、様々なことを経験していた。
最初は僕の身体を自由気ままに使い、やりたい放題だったが、徐々に僕の視点で物事を考えるようになっていた。
「でもさ、悠真。男子って、意外と大変だね。力仕事とか、なんか頼られることが多いし、周りの視線も、女子とは違う気がする。なんか、いつも気を張ってなきゃいけないっていうか……」
結は、僕の身体で、少しだけ疲れたような表情を浮かべた。
僕は彼女の言葉に、少しだけ驚いた。
結が、そんな風に思っていたとは。
「だろ?男は男で、色々あるんだよ。お前みたいに、いつも気楽に生きてるわけじゃないんだ」
僕の言葉に、結は少しだけムッとしたようだったが、すぐに反論してきた。
「気楽って何さ!私だって、女子として色々大変なんだから!でも、悠真が私の身体に入って、悠真の不器用なところとか、優しいところとか、あらためて実感したよ。なんか、いつもはクールなフリしてるけど、本当は可愛いところもあるんだなって」
結の言葉に、僕は心臓がドクンと鳴った。
彼女は、僕の普段見せない部分まで、この入れ替わりを通して知ってしまったのだ。
それは、少しだけ気恥ずかしく、しかし同時に、僕の心を温かくする言葉だった。
僕たちは、互いの身体を通して、互いの日常を体験し、互いの苦労を知り、そして、互いの新しい一面を発見していた。
最初は、この状況を呪っていた僕だが、今では、少しだけ、この入れ替わりに感謝している自分がいた。
このまま元に戻れなかったとしても、それはそれで、新しい人生として受け入れられるかもしれない。
そんな漠然とした思いが、僕の心の中に芽生え始めていた。
互いの存在が、以前よりもずっと、大きなものになっていることを、僕たちは無意識のうちに感じ取っていた。
入れ替わり生活が二週間を過ぎた頃、僕たちは本格的に元に戻る方法を探し始めた。
インターネットで「入れ替わり」「身体が戻る方法」などと検索してみたが、出てくるのは都市伝説やフィクションばかりで、全く役に立たない。
「やっぱり、あのプリクラ機に行くしかないね」
ある日の放課後、結(中身は悠真)が、真剣な顔で僕に言った。
僕も、同じことを考えていた。原因不明の現象が起きたのは、あのプリクラ機の前で、あの「魔法のプリズム」フレームで写真を撮った時だ。
ならば、元に戻るヒントも、そこにあるはずだ。
「でも、なんで入れ替わったのかもわからないのに……。もう一度撮って、本当に元に戻れるのか?」
僕の不安そうな声に、結は僕の身体で、フッと笑った。
「やってみなきゃ分からないじゃん!それに、他に方法がないんだから、試すしかないでしょ?ほら、悠真、早く行こ!」
結に促され、僕たちは再びゲームセンターへと向かった。
前回と同じプリクラ機の前に立つと、あの時と同じ、甘ったるい匂いがした。
僕は深呼吸をして、カーテンをくぐった。
「よし!じゃあ、もう一度、同じ条件で撮ってみよっか!」
結は張り切って、前回と同じ「魔法のプリズム」フレームを選択した。
僕は緊張で、ごくりと唾を飲み込んだ。シャッターボタンが押される。
カシャッ!
強烈なフラッシュ。
前回と同じように、視界が真っ白に染まった。
僕は目を閉じ、祈るように元に戻ることを願った。
再び視界が戻る。僕は慌てて自分の身体を確認する。
「……っ、あれ……?」
僕の身体は、依然として結の身体のままだった。
目の前には、僕の顔で、少しだけ残念そうな顔をしている結(中身は悠真)が立っている。
「……戻んねぇじゃん」
僕の呟きは、絶望に満ちていた。
「うわ〜、どうしよう!やっぱりダメだったか〜!」
結も、僕の顔で頭を抱えている。
その表情は、普段の能天気な結とは違い、明らかに焦りと不安が入り混じっていた。
僕たちは、何度か同じプリクラを撮り続けたが、結局、何も起きなかった。
まるで、僕たちの願いが届かないかのように、プリクラ機はただ写真を撮るだけだった。
希望の光が、音を立てて崩れていくような感覚に襲われた。
このまま、僕たちは一生、入れ替わったままなのだろうか。
僕は、目の前に立つ、僕の姿をした結を見て、途方もない絶望感に襲われた。
入れ替わり生活が一ヶ月を迎える頃には、僕たちはすっかりこの奇妙な日常に慣れてしまっていた。
最初は地獄だと思っていた女子の生活も、今では多少の要領を得て、自然に振る舞えるようになっていた。
結もまた、僕の身体で、男子の生活を謳歌しているようだった。
ある日の放課後、僕たちはいつものように、結の家で過ごしていた。
僕の身体に入った結が、ソファに座って漫画を読んでいる。
僕は結の身体で、キッチンでコーヒーを淹れていた。
「最近、前より笑顔が自然になったよね」
不意に、結が僕に声をかけた。
僕の淹れたコーヒーを一口飲み、満足げな顔をしている。
「え……俺、そんなに変わった?」
僕は少しだけ照れながら、結に尋ねた。
「うん。なんか、前は無理してる感じだったけど、最近は本当に楽しそうだよ?それに、なんか、表情が柔らかくなったっていうか……。女子力、上がったんじゃない?」
結の言葉に、僕はまた頬が熱くなった。
女子力という言葉に、未だに抵抗はある。
だが、この一ヶ月で、僕の心境に変化があったのは確かだった。
最初は嫌で嫌で仕方がなかった女子の生活も、今では、少しだけ、いや、結構楽しいと感じるようになっていた。
女子ならではの視点、共感することの喜び。
そして、何よりも、結という存在が、僕の日常に彩りを与えていた。
「でもさ、悠真」
結が、真剣な眼差しで僕を見つめた。
僕の顔は、普段の僕からは想像もできないほど、優しげな表情をしていた。
「うん?」
「どっちの身体でも、悠真は悠真だよ」
その言葉に、僕の心臓がドクンと鳴った。
結の言葉は、僕の心を深く貫いた。
どんな姿になろうと、僕の「中身」は変わらない。
結は、僕の変わらない本質を、ちゃんと見てくれていたのだ。
「……結」
僕は、彼女の名前を呼んだ。
その声は、普段の僕からは想像もできないほど、優しく響いた。
「このままでも、いいかもね。ちょっと面倒だけど、楽しいし」
結は僕の顔で、柔らかく微笑んだ。
その笑顔は、僕の胸を締め付けた。
少しだけ、切ないような、そして、温かいような、不思議な感情が沸き上がってきた。
「……そうだな」
僕は、結の言葉に静かに頷いた。
もう、元に戻れなくてもいいのかもしれない。
このまま、結と入れ替わったままでも、僕は生きていけるだろう。
いや、むしろ、この方が僕たちはもっと深くお互いを理解し合えるのかもしれない。
僕たちの入れ替わり生活は、依然として続いていた。
しかし、そこには絶望ではなく、確かな希望と、そして、今までとは違う形の絆が芽生えていた。
リビングの壁には、先日もう一度プリクラ機で撮った写真が飾られている。
そこには、僕の姿で微笑む結と、結の姿で少し照れくさそうに笑う僕が写っていた。
その日常は、これからも続いていく。
僕たちの奇妙な物語は、まだ始まったばかりなのだから。



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