金曜日の夜、週末が訪れたというのに、リビングには重苦しい空気が漂っていた。
ソファに座り込んだ田中隆一は、妻の美咲からの冷たい視線を背中に感じながらため息をつく。
「たまには俺だって休みたいんだよ」と内心ぼやくが、口には出せない。
「今日も家事、全部私にやらせるつもり?」
美咲の声は静かだが、その背後には明確な怒りが潜んでいた。
隆一は肩をすくめ、「いや、別にそんなことは……」とごまかすが、美咲はすでに立ち上がっていた。
彼女は、どこからか黒いフリルのメイド服を取り出し、にっこりと笑った。
「じゃあ、これ着て手伝ってよ。」
隆一は目を疑った。冗談じゃないかと笑い飛ばそうとしたが、美咲の目は本気だった。
「冗談だろ? 俺がそんな格好するわけないだろう!」
しかし、次の瞬間、奇妙な感覚が彼を襲った。
目の前の光景が歪み、頭がぼんやりとして意識が薄れていく。
気がついたときには、自分の手元が妙に小さく、そして華奢になっていることに気づいた。
――いや、それだけではない。胸のあたりに感じる重み、ふんわりとしたスカートの感触。
「おい、なんだこれ……!」
慌てて鏡を見ると、そこには美咲の姿が映っていた。
「な、なんで俺が美咲になってるんだよ!?」
「ふふっ、驚いた?」背後から聞こえる隆一――いや、今は美咲の姿をした隆一の声が響いた。「これで家事は君に任せるわ。私の身体を使って、ちゃんとメイドとして頑張ってね。」
美咲に身体を奪われ、隆一はショックと混乱でしばらく立ち尽くしていたが、彼女の命令でしぶしぶ動き出すことになった。
掃除機をかける手が震え、慣れない手つきで皿を洗うたびに、ガラスがキュッキュと不愉快な音を立てる。
「こんなこと、いつもお前がやってるのか……?」不平を漏らしながらも、隆一はなぜか美咲のメイド服に袖を通したまま、黙々と家事をこなしていた。
だが、どれだけやっても終わりが見えない。
普段の自分ならばすぐに諦めていただろうが、美咲の身体にいる今、彼女の目が背後にあるような気がして、簡単に手を抜けなかった。
「おい、いい加減身体を戻してくれよ!」
隆一は叫んだが、リビングで足を組んで座っている自分――いや、彼の姿をした美咲はのんびりと雑誌を読んでいるだけだった。
「まだ終わってないでしょ? それに、せっかくの入れ替わりなんだから、少しは楽しんでみたら?」
楽しむ余裕などなかった。
メイド服のスカートが足元で揺れ動くたびに、隆一は羞恥心に苛まれた。
自分がこんな格好をして、家事をしているなんて――想像するだけでも耐え難い。
それでも、彼女の機嫌を取らなければ、自分の身体を取り戻すことはできないのだ。
「くそ、早く終わらせて元に戻してくれ……」
そんな彼の心中を知ってか知らずか、美咲は「うん、明日の夜まで頑張ってね」と笑顔で言い放った。まるで週末の休暇を満喫するかのように。
翌日、隆一は目を覚ますと、まだメイド服を着たままだった。
昨夜は慣れない家事に疲れ果て、ほとんど力尽きた状態で床に倒れ込んでいたのだ。
「まさか、本当に土曜日までやらせるつもりか?」と不安がよぎる。
「おはよう、メイドさん。今日はまだまだやることがあるわよ。」
寝起きの隆一に、美咲は容赦なくタスクを告げた。
洗濯、掃除、料理……すべて彼女が普段こなしている仕事だ。
それに比べて自分は、いかに何もしてこなかったかを思い知らされる。
「こんなに毎日やってたのか……」
不慣れな手つきで洗濯物を干しながら、隆一はぼそりと呟く。
美咲はその声を聞き逃さなかった。
「そうよ。でも、今週末はあなたがやってくれるから、私は楽できるわ。」
「ちくしょう……」
恥ずかしさと疲労が重なり、隆一は時折目を潤ませながらも家事を続けた。
午後になり、彼女のために食事を用意したが、見栄えも味も美咲には遠く及ばない。
「ふふ、まあ、初めてにしては頑張ったんじゃない?」
日曜日の夜が近づく頃、隆一はもう限界だった。
彼の姿をした美咲は、そんな彼を見て満足そうに微笑むと、ようやく身体を元に戻すことを約束してくれた。
「これでおしまい。お疲れ様、メイドさん。」
元の身体に戻り、隆一はほっと胸を撫で下ろした。
しかし、その一方で、美咲の苦労を少しだけ理解した彼は、以前ほど家事を押し付けることはなくなった。
それでも、彼が二度とメイド服を着ることはなかった。
家の片付けのときに気分を変えてメイド服を着てみたこともありますが
別に効率は変わらないですね。
エプロンは身につけてるし、黒だったから汚れは目立たないし
そういう意味合いでは悪くないかもです。
一応うちでは家事は分担してますが、疲れて帰ったときは済んでると嬉しい。
そんな状況は実際のところほとんどありませんが。。。
コメント