婚礼を三日後に控えたその夜、村を包む空気は湿り気を帯び、妙に重かった。
タケシは、アヤの実家の裏手にある古い蔵の前に立っていた。
新生活で使う道具を整理してほしいと頼まれたのだ。
埃っぽい匂いの立ち込める蔵の奥、積み上げられた長持(ながもち)の隙間に、それはあった。
「……なんだ、これ」
厚手の古布に包まれた、一対の鏡。
布を剥ぎ取ると、そこには禍々しいほど緻密な装飾を施された木枠が現れた。
一方は天へ昇らんとする龍、もう一方は翼を広げる鳳凰。
鏡面は数十年、数百年もの間、闇を吸い込み続けてきたかのように深く、鈍い光を放っている。
タケシが龍の鏡を、アヤが鳳凰の鏡を。
吸い寄せられるように二人がそれぞれの鏡を手に取り、その面に己を映した瞬間だった。
鏡の中の「自分」が、ふわりと歪んだ。
タケシの視界では、鏡の中の自分の顔が、アヤの柔和な輪郭へと溶け落ちていく。
アヤの視点では、鏡の中の自分が、タケシの逞しい顎のラインへと変貌していく。
「あ……」
声にならぬ吐息が漏れた。
脳を直接、冷たい氷の杭でかき回されるような激しい眩暈。
平衡感覚は消失し、上下左右の概念が霧散する。
タケシは、自分の魂が肉体という器の底にある「栓」から、一気に抜き取られるような恐怖を味わった。
暗転。 二人の意識は、夜の底へと沈んでいった。
翌朝。 タケシが意識を取り戻したとき、最初に感じたのは「重力」の変化だった。
いつもなら布団を跳ね除ける際に感じる、自分の腕の重み。
骨太な節々の確かな感覚。
それが、まるでない。
代わりに感じたのは、布団の重みさえ肌に痛いほどの、異常な「柔らかさ」だった。
(……なんだ、この感覚は)
目を開けようとして、睫毛の長さと多さに驚く。
瞬きをするたびに、まぶたの縁が羽毛に触れているかのように重い。
タケシは起き上がろうとしたが、力の入れ方がわからなかった。
これまで「グイッ」と腹筋に力を込めていた感覚を再現しようとしても、身体がそれに反応しない。
中心が定まらないのだ。
ようやく上体を起こすと、視界がいつもより十センチほど低いことに気づく。
そして、胸元に走った「違和感」。
寝間着の布の下で、重力が一点に集中し、皮膚がわずかに引っ張られる感覚。
恐る恐る自分の胸に手をやったタケシは、悲鳴を上げる間もなく硬直した。
「……っ!?」
指先に触れたのは、硬い胸板ではない。
柔らかく、弾力があり、しかし確かな重みを持った「ふくらみ」。
自分の手そのものも、節くれ立った無骨なものではなくなっていた。
白く、細く、指先は桃色の爪が丁寧に整えられた、誰が見ても美しい「女の手」――アヤの手だった。
「ひ……あ、あ、ああ……」
喉から漏れた声に、タケシは自分の耳を疑った。
野太い自分の声ではない。
鈴を転がしたような、高く、澄んだ、愛しい婚約者の声。
その声が自分の喉の振動として伝わってくる事事態が、悍ましくてならない。
タケシは這いずるようにして、部屋の隅にある化粧鏡の前にたどり着いた。
そこに映っていたのは。
「アヤ……」
乱れた髪、潤んだ瞳。
恐怖に顔を引きつらせた、絶世の美女。
それは間違いなくアヤだった。
だが、その瞳の奥で、自分という精神が激しく拒絶反応を起こしている。
脳は「俺は男だ」と叫んでいるのに、視覚情報は「お前は女だ」と突きつけてくる。
自分の皮膚だと思って触れている場所が、他人の肉体であるという倒錯した感覚。
タケシは、あまりの気味悪さに、その場で胃の腑にあるものをすべて吐き出した。
一方、タケシの家で目覚めたアヤもまた、地獄の中にいた。
(身体が……重い。痛い……)
全身の筋肉が、まるで鉄の塊に置き換わったかのようだった。
寝返りを打とうとするだけで、自分の身体が自分ではない巨大な獣のように感じられる。
アヤは、股の間に感じる決定的な「異物感」に、心臓が止まるほどの衝撃を受けた。
それは、本来あるはずのない臓器であり、突き出た違和感は、彼女の純潔な精神を物理的に侵食しているようだった。
「……た、け、し……さん?」
漏れた声は、腹の底から響くような、地を這う低音。
自分の肺から出た空気が、こんなにも太く、力強い振動を伴って喉を震わせることに、アヤは吐き気を催した。
起き上がり、自分の腕を見る。
そこには、日焼けした黒い肌と、浮き出た血管。
無数に生えた黒々とした剛毛。
アヤにとってそれは、愛する男性の頼もしさの象徴だった。
しかし、それが「自分の身体」になった瞬間、それはただの醜悪な、野蛮な肉の塊にしか見えなかった。
「どうして……どうして、私が、タケシさんに……」
アヤ(の中身)は、必死に自分の顔を触った。
ザラザラとした顎の感触。
昨日剃ったばかりのはずの髭の切り口が、指先にチクチクと刺さる。
女性特有の滑らかな肌の感覚はどこにもない。
自分という存在が、この筋張った、汗臭い、巨大な肉の檻の中に閉じ込められてしまったのだという恐怖。
アヤは混乱のまま、鏡を探した。
そこにいたのは、愛する婚約者の姿をした、得体の知れない「何か」だった。

前は入れ替わった→どうしよう→受け入れよう
で終わっていましたが、大分補完して物語っぽくなったと思います。
載せたのは一部分だけで、残りは色々見直し中ですが。。。
完成品もお楽しみに♪
前回の最後に書いた肩出しウェディングドレスなので、
男体のウェディングドレスを見たい方は↓から飛んでw
元の話はこちら
次回:2/20 21:00公開予定
多分しばらくリメイクと新作を交互に出します。
リメイクとはいえ、完全に編集してるのでほぼ新作。という言い訳。
次回は新作で、目立たない事務のおばさんと若手社員の話。



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