午前十時。アパートの廊下を、乾いたキャスターの音が通り過ぎていった。
それは数日前から繰り返されている、この建物が「空」になっていく音だ。誰かが故郷へ帰り、誰かが恋人の待つ場所へ向かう。
ドアが閉まり、鍵が回る金属音が響くたびに、建物全体の密度が希薄になっていく。
悠斗は窓際に立ち、遮光カーテンの隙間から、駅へと続く緩やかな坂道を見下ろしていた。
大きなボストンバッグを肩にかけた若者や、浮き足立った足取りの家族連れが、陽炎の向こうへと消えていく。
彼らを見送る悠斗の瞳には、寂寥感も羨望もなかった。
ただ、潮が引くのを待つ砂浜のように、平坦な静寂が彼を満たしていた。
やがて、最後に残っていた隣室の生活音も途絶えた。
遠くで車の走行音がかすかに聞こえるだけで、この安普請のアパートは、深い森のような沈黙に包まれる。
悠斗は窓から離れ、ゆっくりとカーテンを閉めた。
二重に重ねられた厚手の布が、夏の盛りを告げる刺すような日差しを遮断する。
部屋は一瞬にして、深い海底のような薄暗がりに沈んだ。
彼はデスクの上に置いたスマートフォンの電源ボタンを長押しした。
シャットダウンを告げる短い振動。
画面が暗転し、鏡のようになった液晶に、生気のない自分の顔が映る。
それを裏返して机に置くと、彼は音もなく立ち上がり、浴室へと向かった。
シャワーの飛沫が、硬いタイルの床を叩く。
悠斗は目を閉じ、降り注ぐ熱に身を委ねていた。
石鹸を泡立て、丁寧に、執拗なまでに肌を磨き上げる。
一日の労働を終えた後の煤を落とすのではない。
これから「彼女」を招くための、清めの儀式だった。
髭を剃る剃刀の刃が、喉元をかすめる。
鏡に映る水滴を拭い、顎のラインに指を滑らせる。
一切の凹凸を許さない、陶器のような滑らかさを求めて、刃を走らせた。
湯気の立ち込める浴室から出た悠斗は、バスタオルで髪を拭き、クローゼットの前で立ち止まった。
一番奥、普段はスーツの陰に隠れている場所から、黒い不織布のカバーを取り出す。
ファスナーを開くと、部屋の僅かな光を吸い込んで、深い紅(あか)と漆黒が姿を現した。
まずは、繊細なレースをふんだんに使った下着を手に取る。
男性用のそれとは明らかに異なる、心許ないほどの軽さと、指先に絡みつくような質感。
それを身に纏うと、肌が小さく粟立った。
次に、何層にも重ねられたチュールのパニエ。
足を通すと、足元に真っ白な雲が湧いたようなボリュームが生まれる。
その上に、重厚なジャガード織りのドレスを被せた。
カサリ、カサリ。
布が擦れ合う音が、静かな部屋に鼓動のように響く。
背中のファスナーを上げる指先が、わずかに震えた。
自分の体温がドレスの内に閉じ込められ、心地よい圧迫感が胸を締め付ける。
ドレッサーの前に座り、パレットを開く。
肌に粉を乗せ、筆を滑らせるたびに、見慣れた「悠斗」の輪郭が曖昧になっていく。
アイラインを引き、睫毛を整え、紅を引く。
最後に、明るい栗色のロングウィッグを被り、黒いレースのヘッドドレスを丁寧な手つきで固定した。
完成したその姿で、彼はもう一度、鏡を見た。
そこには、少し身長は高いが、壊れ物のように繊細な雰囲気を纏ったロリータ少女が立っていた。
鏡の中の彼女は、何も言わない。
ただ、深く、澄んだ瞳でこちらを見つめ返している。
悠斗は、頬にそっと手を添えた。
指先に触れるのは、冷たい現実ではなく、確かに完成された「理想」の肌触りだった。

まあ、どこまで準備するかは人それぞれですが
女装する前は、さっとシャワー浴びてさっぱりし、髭は剃っておきたいですね。
前日くらいにはムダ毛も剃っておきます。
結構さっぱりするんで、女装関係なく男性にお勧めですね。
ただ陰部は駄目です。
剃ったときはさっぱりしますが、伸びたときチクチクして痛い。。。
次回更新:1/9(金) 21:00
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