
大学のキャンパスにあるカフェで、遠野悠人(とおの ゆうと)は厚手のパンフレットを前にため息をついた。
隣には、優しく微笑む恋人、神崎美咲(かんざき みさき)の姿が、鮮明に脳裏に焼き付いている。
「美咲は、これを本当に欲しがっているんだよな……」
パンフレットに載っているのは、シンプルだが洗練されたデザインのペアリング。
ブランド物で、価格は悠人の現在の貯金とバイト代の合計を遥かに上回っていた。
(今のバイトを掛け持ちしても、クリスマスまでには絶対に間に合わない。もっと時給が高くて、すぐに稼げる仕事が…)
美咲の笑顔を思い浮かべると、悠人の心は焦りでいっぱいになった。
彼女を心から喜ばせたい、という純粋で強い思いが、悠人を衝き動かしていた。
その日、悠人はいつものようにスマホで短期バイトを探していた。
倉庫整理、イベントスタッフ、治験――どれも決め手に欠ける。
そんな中、見慣れない広告が目に留まった。
【緊急高額募集!時給破格!】
メイドカフェ『にゃんこ☆パラダイス』
「メイドカフェか…」悠人は一瞬ひるんだ。
しかし、その時給は他のバイトの倍以上だった。
さらに、小さな注意書きが悠人の目を釘付けにする。
『顔採用あり。未経験OK。男性も条件により応相談。』
悠人は自分の顔に自信があるわけではなかったが、サークルの先輩から「お前は女の子みたいな顔立ちだから、女装したら絶対モテる」と冗談半分で言われたことがあったのを思い出す。
(馬鹿なことを考えているな。でも、これしかないかもしれない)
葛藤はあったが、「美咲のため」という言葉が、すべての羞恥心を打ち消した。
どうせやるなら本気でやり切ろう。
中途半端にやってバレるのが一番格好悪い。
その日の夜、美咲との電話。
「うん、クリスマスに向けて、新しいバイトを始めたんだ。短期の倉庫整理。ちょっと夜遅くまでやることが多いかもしれないけど、頑張るから!」
美咲は「無理しないでね」と優しく返したが、悠人の胸にはすでに、大きな秘密の塊ができていた。
翌日、悠人は『にゃんこ☆パラダイス』の事務所を訪れた。
履歴書には、正直に「男性」と記入。
私服姿の悠人を見た店長は、ニヤリと笑った。
「なるほど、噂通りの美形だ。君は…遠野悠人君でいいかな?」
「はい。あの、履歴書にも書いた通り、僕は男性なのですが…」
悠人が緊張しながら告白すると、店長は笑って腕を組んだ。
「知ってるよ、悠人君。むしろ、それ込みで採用だ」
店長は斉藤という名で、細い目をさらに細めた。
「君の顔立ちと、この真面目そうな雰囲気なら、うちの店に面白い化学反応を起こしてくれるだろう。採用! ただし、条件がある」
店長は身を乗り出した。
「他のバイトや客には、絶対に、絶対に秘密だ。君には完璧な女の子になりきってもらう。そして、うちの都合のいい駒になってもらうよ」
悠人は店長の言葉に戸惑いつつも、「美咲のため」という目標を思い出す。
「分かりました。僕が男だと知っているのは…店長と、あとごく一部の人だけ、ということですね」
「そうだ。君のバイト名は『ユウ』だ。最高のメイドとして、稼いでもらうよ」
こうして、悠人の秘密の二重生活、メイド「ユウ」としての挑戦が始まった。
初日。悠人は指定された控室に入った。
そこには、フリルやリボンがふんだんにあしらわれた、可愛らしいメイド服が掛けられていた。
そして、その隣には、女性用の下着が一式。
「えっ…?」
悠人が固まっていると、後ろからクールな声がした。
「あんたが新人かい。ユウ、だったかな。私が教育係のさつきだ」
さつきは銀髪で、クールビューティーな雰囲気を持つベテランメイドだった。
彼女は悠人が男だと知っているような表情で、悠人に下着を突きつけた。
「完璧になりきってもらうからな。これは制服の一部だ。プロ意識を持って着用しろ。これは身体のラインを女性らしく補正するための道具でもある」
悠人は顔を真っ赤にした。
まさか、下着まで女性物を支給されるとは想像もしていなかった。
(くそっ、これがプロの壁か…美咲のためだ、恥ずかしいとか言ってる場合じゃない!)
悠人は深呼吸し、意を決してバスルームへ向かった。
硬いワイヤーの感触、慣れない締め付け。
全てが不快で、早く脱ぎ捨てたかったが、ユニフォームを完璧に着こなすためには仕方がないと割り切った。
着替えを終えて控室に戻ると、さつきは悠人の顔をじっと見つめた。
「制服は悪くない。だが、あんたはまだ『女装をしている男』だ。これじゃあ、ただのコスプレだ」
さつきによる、スパルタ式の「ユウ」育成プログラムが始まった。
「いいかい、ユウ。メイド服はフリルを活かして、軽やかに見せるんだ。そして、ヒール。これはただの飾りじゃない。女性らしい歩き方を体に叩き込む道具だ」
さつきはまずメイクを始めた。
女性らしい丸みを帯びた輪郭を作るシェーディング、目を大きく見せるアイメイク。
さつきの手つきは、まるで魔法使いのようだった。
「あんたは元々の骨格がいい。目を錯覚させれば、完璧な女の子になれる」
次に、立ち居振る舞い。
猫背矯正、常に指先まで意識した動き。
そして、最も難関なのが声だった。
「中性的な声を出せ。ワントーン上げて、語尾は少し伸ばす。そして、これだ。『萌え萌えキュン』、やってみな」
「も、もえもえ…きゅん…」
「ダメだ!魂が入ってない! あんたの目標は何だ?金を稼ぐことだろう。やるなら本気でやれ! あんたは今からユウだ!」
さつきの叱咤激励に、悠人は奮い立った。
(そうだ、やるなら本気だ。美咲のためだ。ここで妥協したら、この恥ずかしい努力全てが無駄になる)
「はい、さつき様! 萌え萌えキュン!」
悠人は羞恥心を捨て、完璧な笑顔でポーズを決めた。
その変わり身の速さに、さつきはわずかに目を見張った。

何事も中途半端が1番見栄えが悪いですからねぇ。
得手不得手はありますが、やるならやる、やらないならやらない。
はっきりした方が良いかと思ってます。
まあ、この場合は多少の羞恥心があった方が良いかもですが?
本当に無理なら全力で逃げ切りましょう。中途半端は身を滅ぼす。。。
仕事終わってメイド服脱いだのに、色々残ってる。。。


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