
着付けが終わった。
ウィッグは、着物に合わせて深紅のショートボブ。
真央のヘアメイク担当の友人が、手慣れた様子で俺の顔を仕上げていく。
いつもは自分で雑に済ませるアイラインも、口紅も、全てがプロの手によって、まるで別人の顔を創造していた。
「さ、鏡の前にどうぞ」
真央の声に促され、俺は重い身体を動かした。
目の前に立てられた、全身を映す大きな鏡。
俺は、息を飲んだ。
そこに立っているのは、俺ではない。
艶やかな紅柄の着物に身を包んだ、真っ赤な髪の、優美な女性がいた。
細く描かれた目元は、どこか愁いを帯びていて、真っ赤な唇は、今にも何かを語りだしそうに潤んでいる。
帯の締め付けが、俺の身体を非現実的な曲線美に仕立て上げている。
「……嘘だろ」
俺は震える声で呟いた。
これは、いつもの「ネタ」の延長線上にいる俺じゃない。
本気で、美を追求された結果だ。
真央が、背後からそっと俺の肩に触れた。
「……綺麗だよ、悠真。本当に」
その一言が、決定打だった。
それは、いつもの「面白い」とか「似合ってるね」とは違う、純粋な美に対する賛辞。
鏡の中の「彼女」は、俺の知る神崎悠真の輪郭を持ちながら、全く別の魂を宿しているように見えた。
これは俺じゃない――男である俺の理性が、警鐘を鳴らす。
でも、確かに俺だ――この艶やかさ、この美しさは、俺の身体から生まれた、紛れもない俺の可能性だ。
男としての自分と、今鏡の中にいる「彼女」との境界線が、音を立てて崩れていく。
俺は、鏡から目を離せなかった。
目を離したら、この幻想的な美しさが、霧のように消えてしまう気がしたからだ。
「ね、悠真。……もう、俺っていう一人称、やめたら? 今日は、私になってみようよ」
真央の提案は、俺の心の奥底に響いた。
俺は、気づかないうちに、鏡の中の彼女に、語り掛けていた。
「……わかってる」
俺は、彼女として、初めて頷いた。
撮影場所は、都心から少し離れた場所にある、由緒正しい日本庭園。
夜間は一般公開されておらず、真央がコネを使って特別に許可を取った場所だ。
タクシーから降り立ち、石畳を踏みしめる。
もうすぐ月が昇るだろう。
辺りは静寂に包まれ、提灯の灯が、湿った空気に揺れていた。
「さて、悠真……じゃなくて、私? 今日だけ、名前変えようか。ユウとか」
真央が茶化すように言うと、俺は少し笑って、頷いた。
「……ユウでいい。ユウで」
庭園の中へと続く石畳は、着物の裾には優しくない。
草履では歩きにくく、真央は慣れない俺のために、一組の靴を取り出した。
「歩き慣れてないでしょ。和装には合わないけど、撮影用ってことで。ほら、赤いヒール」
差し出されたのは、真っ赤な、細いピンヒール。
着物の紅柄と呼応するような鮮やかな赤。
俺はヒールを履き、さらに非日常へと踏み込んだ。
いつもは男らしく大股で歩く俺の足が、ヒールと着物のせいで、自然と小股で、内股で歩くことを強いられる。
真央は、早速、庭園の中央にある石段に腰を下ろすよう指示した。
「ユウ、そこ。月を背にする感じで、お願い」
俺は、言われるがままに石段に腰を下ろす。
着物の裾が広がり、まるでそこに紅の花が咲いたようだ。
「次は、足を組んでみて。うん、その姿勢、綺麗。……あ、違う。男の組み方じゃなくて、もっと、優雅に」
真央の指示に、俺は戸惑う。優雅に?
試行錯誤するうちに、俺は気づいた。
足を組むとき、無意識に膝を揃えて、太ももの内側を意識するようにしていた。
シャッター音が鳴る。
真央は次々とポーズを要求した。
「次は、少し身を乗り出して、胸元に手を添えて。そう、憂いを帯びた顔で」
言われるがままに、俺は胸元を覆うように手を置く。
その仕草は、自分でも驚くほど、女性的だった。
守るような、隠すような、でも、同時に見せつけているような複雑な色気。
髪に触れる。
裾を持ち上げる。
首を傾げる。
俺の身体は、もう悠真としての癖を忘れていた。
着物とヒール、そして真央の視線が、俺を「ユウ」という女性の動作へと、無意識に導いていた。
この夜、俺は、ただの「被写体」として、生まれ変わっていた。

Gemini使って加工してみましたが
背景もかなり自由に変えられそうですね。
前に使ってたアプリの機能が有料限定になったので
別の方法を模索してました。
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