裏切られた男が女装を極めて復讐
「……嘘、だろ」
十二月の冷たい風が、悠人の頬を叩く。
手元にあるのは、三ヶ月前から苦労して予約した、都内でも指折りのフレンチレストラン『ベル・エキップ』の予約確認メールだ。
今日は、大学時代から付き合っている彼女、理沙の二十四歳の誕生日だった。
サプライズで用意した三万五千円のコースと、奮発して買ったブランド物のネックレス。
それらを抱えて、悠人は店の入り口が見える街角にいた。
しかし、彼の目に飛び込んできたのは、期待していた理沙の笑顔ではなかった。
「あはは、ほんと面白い! 今日はそっちに行って正解だったかも」
聞き慣れた、甘ったるい声。
理沙が、見知らぬ男の高級外車の助手席に乗り込んでいく。
男は悠人よりも明らかに年上で、自信に満ちた笑みを浮かべて彼女の腰を抱いた。
理沙は、今朝悠人に送った「仕事がどうしても終わらなくて。お祝いは後日にしてほしいな」というLINEを、完全に忘れているようだった。
エンジン音が夜の静寂を切り裂き、テールランプが遠ざかっていく。
悠人は動けなかった。
怒りよりも先に、胃の底が冷え切るような虚無感が襲ってきた。
自分が尽くしてきた時間は、節約して貯めたこの金は、一体何のためだったのか。
「……バカみたいだ」
手元に、一通の通知が届く。
レストランからのリマインドだ。
『本日、十九時よりお待ちしております』。
キャンセル料は当日なら百パーセント。
行かなければ、ただの無駄になる。
悠人は幽霊のような足取りで、店の中へと入った。
店内はカップルの語らいと、ワイングラスが触れ合う澄んだ音で満たされていた。
「一名様、でしょうか?」
給仕の問いに、悠人は消え入るような声で「……連れが、来られなくなって」と答えた。
促されるままに座った席。
向かい側の空席が、あまりにも残酷に悠人の惨めさを強調している。
運ばれてくる前菜の彩りも、今は泥を盛られているのと変わらない。
ワインを一口飲んだ。
喉を焼くアルコールが、情けなさを少しだけ麻痺させてくれる気がした。
二杯、三杯とグラスを空けていく。
周囲の幸せそうな笑い声が、尖ったナイフのように耳に突き刺さる。
「そんなに暗い顔をして飲んでいたら、ヴィンテージのワインが台無しよ」
不意に、上から鈴を転がすような声が降ってきた。
顔を上げると、そこには一人の女性が立っていた。
夜の闇を溶かし込んだような黒い髪。
そして、悠人が理沙に似合うだろうと夢想していたよりも、遥かに鮮やかな、血のような赤を基調としたドット柄のワンピース。
イラストから抜け出してきたような、完成された美しさを持つ女性だった。
「……誰ですか」
「通りすがりの、お節介な女。あなたの顔があまりに悲しそうで、せっかくの食事がお葬式に見えたから」
彼女――美咲は、迷いなく理沙が座るはずだった空席に腰を下ろした。
「あ、あの、ここは……」
「いいじゃない。一人で飲むには、この店の空気は重すぎるでしょう? 代わりに私が話し相手になってあげる。あなたの名前は?」
「……悠人です」
「悠人くんね。私は美咲。ねえ、悠人くん。その死んだ魚のような目の理由、話してみなさいよ」
酒の勢いもあったのだろう。
あるいは、美咲の瞳に宿る、全てを肯定してくれそうな底知れぬ深さに吸い込まれたのかもしれない。
悠人は、堰を切ったように話し始めた。
理沙との出会い。
彼女のために尽くしてきた日々。
そして、先ほど見た裏切りの光景。
言葉にすればするほど、自分の価値が削り取られていくような気がして、悠人の目からはポロポロと涙がこぼれた。
美咲はそれを、嫌そうな顔一つせず、頬杖をついて眺めていた。
「……なるほどね。よくある、でも最悪な裏切り。あなたは優しすぎたのよ。だから、あっちの女はあなたを『何をしても許される都合のいい道具』だと思ったの」
「道具……。僕は、ただ、彼女の喜ぶ顔が見たくて」
「その結果がこれ? 惨めね」
美咲の言葉は鋭いが、不思議と不快ではなかった。
むしろ、膿んでいた傷口を正確に切り開いてくれるような心地よさがあった。
「……復讐、したい?」
美咲が、テーブル越しに身を乗り出した。甘い香水の匂いが、悠人の思考をかき乱す。
「え……?」
「その女と、女を寝取った男。彼らが一番欲しがっているものを奪い、プライドをズタズタにして、二度と立ち直れないほど絶望させてやりたいと思わない?」
「そんなこと、僕には……」
「できるわよ。私がプロデュースしてあげる。……いいわ、今日の食事代のお礼に、面白い遊びを教えてあげる」
美咲は、悠人の震える手に、自分の温かい手を重ねた。
「その代わり、一つ条件。これから私が言うことは、絶対に拒否しないこと。いいわね?」
悠人は、彼女の赤いワンピースを見つめた。
その赤は、祝福の色ではなく、獲物を誘い出す警告の色のようにも見えた。
しかし、今の悠人には、彼女の差し出す手が蜘蛛の糸であっても、縋るしかなかった。
「……分かりました。信じます、美咲さん」
「いい返事」
美咲の口角が、妖艶につり上がった。
「じゃあ、まずはその湿気た気分を吹き飛ばしましょうか。……私の家に来なさい」
会計を済ませ、外に出ると、夜風はさらに冷たくなっていた。
美咲の後に続いて歩く悠人の足元は、ひどくふらついていた。
意識が急速に混濁していく。
ワインの酔いだけではない。
美咲がグラスに何かを入れたのか、あるいは彼女の放つ空気に当てられたのか。
「ねえ、悠人くん」
前を歩く美咲が、振り返らずに言った。
「明日、目が覚めた時。あなたは今までのあなたを捨てることになるわ。覚悟しておいてね」
それが、悠人が「男」として自由に歩いた、最後の夜の記憶だった。

全員とは言いませんが、男は結構金を求められている気がする。
知り合いでも結婚してから正社員したいという女性は少ないし。
むしろ可能なら働きたくないまでありますね。
もちろん私も働かずに生きていきたいです。
強制女装で専業主婦は、むしろ私にはご褒美。
ただし、現実は非情である。。。
次回:1/23(金) 21:00更新


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