晩夏のうだるような暑さが、ようやく和らぎを見せ始めた九月の終わり。
創立五十周年を迎える私立桜ノ宮高校では、例年にも増して文化祭の準備に熱が入っていた。
校内はどこもかしこも活気に満ち溢れ、生徒たちの賑やかな声が響き渡る。
そんな喧騒から少し離れた職員室の一角で、頭を抱えている一団があった。
「なぁ、今年の先生たちの出し物、どうするよ？ 去年の寸劇、生徒から『先生たちも大変だね』って、妙に哀れんだ目で見られたんだよな…」
ため息交じりにそう言ったのは、体育教師で文化祭実行委員の顧問も務める熱血漢、山崎だった。
向かいに座る音楽教師の佐藤が、眼鏡を押し上げながら資料を睨む。
「去年はあれで良かったんだ。先生たちの『普段見せない一面』を見せる、という趣旨だったはずだ。それが哀れみとは…生徒の感性も一筋縄ではいかないな」
社会科教師の鈴木は、コーヒーを啜りながら皮肉交じりに笑った。
「佐藤先生のブルースハープソロが長すぎたからじゃないですかねぇ。生徒も途中で飽きてましたよ」
「なっ、あれは魂の叫びだったんだぞ！」
和やかなようでいて、互いを牽制し合うようなやり取りは、このメンバーの日常風景だった。
そして、この日もまた、文化祭の出し物会議という名目で集まっていたのだ。
メンバーは山崎、佐藤、鈴木の他に、数学教師の田中、国語教師の小林、そして英語教師の吉田。
平均年齢は４０代半ば。誰もが学校のベテランで、生徒からの信頼も厚い、模範的な教師陣だった。
ただし、一つだけ欠点があった。
華がないことだ。
「今年はバンド演奏にしようと思うんだ。俺がギター、佐藤先生がブルースハープ兼ボーカル、鈴木先生がドラム…」
山崎の提案に、皆が顔を見合わせた。
「バンドですか。それはまた…」
と小林が遠慮がちに口を開く。
「楽器なんて、最後に触ったの、いつだったか…」
「大丈夫だ！ 簡単な曲でいいんだ。とにかく、今年は生徒たちに『おっ！』と思わせるような出し物にしたい！」
山崎の熱意に押され、渋々ながらもバンド結成は決定した。
ドラムの鈴木、ギターの山崎、ブルースハープ＆ボーカルの佐藤。
小林はベース経験があると言うのでベース担当に。
残る田中と吉田は、タンバリンとコーラスに落ち着いた。
練習は放課後、音楽室で行われた。
最初はぎこちなかった演奏も、回数を重ねるごとにまとまりを見せ始める。
だが、山崎はどこか納得がいかない様子だった。
「なんか…地味だよなぁ」
練習終わりに、山崎が独りごちた。
佐藤が首を傾げる。
「地味とはなんだ。我々はプロではない。教師としての威厳を保ちつつ、生徒に楽しんでもらうことが目的だろう」
「いや、そうなんだけどさ。このままじゃ、ただの『おじさんバンド』で終わっちまう気がするんだよ。もっと、こう…インパクトが欲しい」
その時、鈴木がニヤリと笑った。
「インパクト、ですか。それなら、一つ手がありますよ」
鈴木の視線が、なぜか田中の方に向けられた。
田中は数学の教員で、普段は物静かで真面目、スーツをビシッと着こなし、生徒にも厳しいことで知られている。
そんな田中が、何か妙な予感に背筋を凍らせた。
「おい、鈴木。まさか…」
「ええ、まさかです。田中先生、女装なんてどうでしょう？」
一瞬、音楽室に静寂が訪れた。
そして、山崎が吹き出した。
「女装！？ 鈴木、お前、何を言い出すんだ！」
「だって、華がないって言うから。おじさんばかりじゃつまらないでしょう。一人くらい、サプライズがあった方が盛り上がりますって！」
田中は、顔を青ざめさせていた。
「冗談じゃない！ 私が女装だと？ 生徒の前にそんな格好で出られるわけがないだろう！」
「いやいや、田中先生。意外と似合うかもしれませんよ？ ほら、背もそんなに高くないし、顔立ちも整ってるじゃないですか」
鈴木の悪乗りは止まらない。
山崎も、面白そうに田中を眺め始めた。
「確かに…田中、お前、普段からあまり表情を変えないから、意外性があって面白いかもな。ギャップ萌えってやつだ！」
「ギャップ萌え、だと！？ 馬鹿なことを…！」
しかし、山崎と鈴木はもう止まらない。
小林と吉田も、最初は戸惑っていたものの、だんだん面白がって田中を説得し始めた。
「田中先生、ベース担当ですし、ステージの中心で目立つじゃないですか。インパクト大ですよ！」
「そうですよ！ きっと生徒たちも喜びますって！」
佐藤だけが、困ったように眉をひそめていた。
「しかし、田中先生の意思を尊重すべきではないか？ 無理強いは…」
「佐藤先生、これこそが『生徒に楽しんでもらうため』ですよ！ 音楽の先生なら、エンターテイメント精神を発揮してくださいよ！」
山崎にそう言われ、佐藤も口をつぐんでしまった。
結局、多数決で「田中女装計画」は可決されてしまった。
田中は屈辱に顔を歪ませながら、しかし職場の空気には逆らえず、渋々承諾したのだった。
「はぁ…なぜ私がこんな目に…」
翌週の練習日。
田中は、山崎が持ってきた安物の制服を前に、深くため息をついた。
しわくちゃのプリーツスカートに、サイズが合っているのか怪しいブレザー。
そして、茶色のウィッグ。
「さあさあ、田中先生！ 着替えて着替えて！」
山崎が囃し立てる。
田中は羞恥心に耐えながら、音楽室の隅で着替え始めた。
ウィッグを被り、スカートを履き、ブレザーに腕を通す。
鏡に映った自分を見て、田中は思わず呻いた。
文化祭とかではこういう教師、覚えている限り1人だけいたかな。
好き嫌いが真っ二つに分かれるような教師だった。
数学教師だったけど分かりづらくて、自習の方がはかどったな。
嫌いな先生だったけど、今思えばノリは良かったのかもしれない。
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