
ある晩、俺――風馬(ふうま)は、いつものようにスマホでゲームをしていた。
隣の部屋では姉の沙希(さき)がなにやらごそごそやっていて、時おり変な呪文のような声が聞こえてきた。
「なにやってんだ、姉貴……」
そう思いつつも放っておいたのが運の尽きだった。
突然、目の前がぐるぐると回転し、意識が遠のいていった。
目を覚ますと、見慣れない天井。
体が重く、違和感が全身を包む。
ベッドの上に座ろうとした瞬間、胸が……ある。
「……は?」
鏡を見ると、そこに映っていたのは、姉・沙希の顔だった。
「え、ちょ、うそだろ!?」
大慌てで自室へ戻ると、俺の体に入った“沙希”がのんびりとポテチを食っていた。
「あ、おはよ。風馬」
「なにしてんだよ! これ、どうなってんの!?」
姉は悪びれもせず、笑った。
「昨日さ、“性格入れ替えまじない”ってやつ、試してみたんだよね。そしたら成功しちゃって〜♡」
「はぁ!?」
こうして、俺は――女の体になって、姉の生活を代わりに送る羽目になった。
学校に行けば、周囲は当然“沙希”として接してくる。
「おはよ、沙希ちゃーん!」
「今日のカーデかわいい!」
正直、死にたくなった。
制服のスカートは短すぎるし、ブラジャーの締め付けも気持ち悪い。
化粧も慣れないし、香水の匂いが鼻につく。
そしてなにより厄介なのは、演劇部。
沙希は演劇部のヒロイン役で、来週の文化祭で主演を張る予定だった。
部の看板役者・柊(ひいらぎ)先輩とのラブロマンス劇。
「沙希、セリフ合わせるぞ」
柊先輩に呼ばれた瞬間、俺の心臓は止まりかけた。
「(無理だって、こんなん……!)」
だが、断れるはずもなく、俺は女子の声を精一杯絞り出し、ヒロインを演じる羽目になった。
放課後、沙希(俺の体)と再度話し合い。
「さっさと元に戻れよ!」
「でもさぁ〜、そっちの生活どう? 女の子って案外楽しいでしょ?」
「ふざけんな!」
俺は真面目に調べ始めた。
ネット掲示板、オカルトブログ、魔術書のPDFまで。
そして見つけた。
『双子星の夜、お互いに強く意識した状態で“交錯の言霊”を唱えると、肉体が交わる』
「……お前、昨日の夜、それやったのか?」
「うん。だって“交わりたい相手”って家族が一番安全じゃん?」
「安全じゃねーよ! 迷惑なんだよ!」
戻る方法はまだ不明。
ただ一つわかっているのは、俺が沙希の“代わり”として生活を続けなきゃならないということ。
女子更衣室での気まずさ、メイク道具の扱い、男子からの視線。
「沙希ちゃん、最近色っぽくなったよね〜」
「……(やめろこっち見るな)」
一番の苦痛は、スカートの中を風が吹き抜ける感覚だった。
放課後の練習では、柊先輩と台本のキスシーンまで演じる羽目に。
「おい、それはまだやらなくていいだろ!」
「でも、本番近いし……」
柊先輩の真剣な瞳に、俺は何も言えなかった。
「(クソッ、なんでこんなドキドキしてんだ……)」
夜、沙希が入浴後のバスローブ姿で登場。
「どう? 柊先輩の唇、柔らかそう?」
「黙れ変態女!」
俺の受難の日々は続いた。
演劇部では連日の通し稽古。
柊先輩とのやり取りも、次第に“自然”になってきてしまっていた。
「沙希、今日のセリフよかったぞ」
「えっ、あ、ありがと……」
思わず頬が熱くなる。
いや、俺は男だ。こんな感情、絶対おかしい。
でも、柊先輩が手を取る仕草や、そっと微笑む表情が、なぜか胸に残ってしまう。
衣装合わせの日、ドレス姿を鏡で見て、目を伏せたくなった。
「似合ってるって言ってあげなきゃ、沙希ちゃん泣いちゃうよ〜」と沙希(in俺の体)がちゃかしてくる。
「お前が言うな!」
本番はもうすぐ。逃げ道はない。
文化祭当日。
観客席は満席。
舞台の上で柊先輩と視線を交わした瞬間、俺は“沙希”としてその場に立っていた。
セリフも、動きも、全部覚えている。
いや、覚えてしまっている。
クライマックスのキスシーン。
柊先輩が顔を近づける。その目は、真剣で、まっすぐで。
「……っ」
唇が触れ合った一瞬、頭が真っ白になった。
――観客、拍手喝采。
終演後、カーテンコールで拍手の波に包まれながら、俺は膝が震えるのをこらえていた。
「……沙希、ちょっと来い」
舞台裏、柊先輩に呼び出される。
「本番中の君、すごくきれいだった。演技も……じゃなくて、君自身が、ずっと気になってた」
「え……あの、俺……じゃなくて、私は……」
告白された。
俺は混乱し、真実を言いかけて口を閉じた。
これは姉の体。姉の生活。
「……ありがとう。でも、答えは……少し待って」
その夜、沙希と真剣に話した。
「戻りたい。けど、柊先輩に……ちょっとだけ、惹かれてる気もする」
沙希は笑った。
「でしょ〜? あの人、イケメンでしょ?」
「……うるさい」
双子星の夜、再び“交錯の言霊”を唱えた。
目を開けると、自分の体に戻っていた。
手を見て、胸を確認して、俺は深く息を吐いた。
「……戻ったな」
姉は姉の体で、俺にウィンクした。
「おかえり、風馬」
演劇部の評判は上々だった。
沙希の評価も爆上がり。
柊先輩は、少し距離を置いている。
たぶん、俺の態度に違和感を感じていたのだろう。
「沙希ちゃん、あの時のキス、すごく真剣だったよね」
そんな噂も聞こえてくる。
だが、俺は何も言わない。
今でも、夢のような感覚だけが、胸に残っている。
ヒロインを演じたのは、俺だった。
……けれども、心が少しだけ、あの役に染まってしまったのかもしれない。

女性になったからって、男性とキスは出来るんでしょうか?
現時点で、私はちょっと厳しい。
まあ女性になったことないから知らんけど。
というか女性とキスも結構厳しいけどね。
沙希視点 -ヒロインの座、ちょっと貸してみたら?-
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