その朝、神崎悠斗(かんざき ゆうと)が最初に感じたのは、喉を焼くような不快な乾燥と、鼻腔を突く古い生ゴミの臭いだった。
「……う……」
頭が重い。飲みすぎた翌朝のような鈍痛を感じながら、悠斗は重い瞼を持ち上げた。
しかし、視界に飛び込んできたのは、彼が心血を注いで維持している、ホテルのように無機質で清潔な自室の天井ではなかった。
黄ばんだシーリングライト。
天井の隅には小さな蜘蛛の巣が揺れている。
反射的に体を起こそうとして、悠斗はさらなる異変に凍り付いた。
布団の感触が違う。安物の柔軟剤の、妙に甘ったるい匂いが鼻をつく。
そして何より、自分の体が——軽い。
胸元に走った奇妙な重みと、太ももが擦れ合う感触。
悠斗は震える手で、自分の胸に触れた。
薄いパジャマ越しに、自分にはあるはずのない柔らかい曲線が掌に伝わる。
「……え?」
漏れたのは、鈴を転がすような、高く、澄んだ声だった。
悠斗は悲鳴を飲み込み、枕元に転がっていたスマートフォンをひったくった。
画面を点灯させる。そこに映った通知画面には、信じがたい名前が並んでいた。
『藤崎美咲様。本日の営業会議の資料ですが——』
「……嘘だろ」
藤崎美咲。同じ専門商社に入社して三年の、同期。
凛とした美貌と完璧な仕事ぶりから「氷の女王」とまで囁かれる、あの才女の名前だ。
悠斗は這いずるようにして、足の踏み場もない床に降りた。
そこは、地獄だった。
コンビニの空袋、飲みかけのペットボトル、脱ぎ捨てられたタイツや下着、積み上げられた段ボールの山。
壁一面の棚には、不気味な造形のアンティークドールや、埃を被った古い小物が所狭しと並んでいる。
会社で見せる、あの隙のない彼女の姿からは到底想像できない、隠れゴミ屋敷。
悠斗は部屋の隅にある姿見の前に立った。
鏡の中にいたのは、乱れた茶髪を肩に散らし、寝ぼけ眼でこちらを見つめる、紛れもない「藤崎美咲」だった。
「……美咲、さん……なのか? これが?」
呆然と立ち尽くす悠斗の手に、握りしめていたスマホが振動した。
着信。相手は——『神崎悠斗』。自分の番号だった。
震える指で通話ボタンを押す。
『……おい。そこに、私がいるの?』
スピーカーから聞こえてきたのは、聞き慣れた自分の、低くて落ち着いた声。
しかし、その声は今、明らかに激しく動揺し、怒りに震えていた。
『藤崎さん……ですよね?』
『……神崎、くん? ああ、信じられない。私、あなたの部屋にいるわ。なによこの部屋。不気味なほど綺麗すぎて落ち着かないんだけど』
受話器越しの「自分」は、吐き捨てるように言った。
『いい、神崎くん。落ち着いて聞いて。今から言う指示に従って。まずは——その惨状を隠すために、今のあなたの……いいえ、私の姿を自撮りして送りなさい。部屋の全景もよ。どの程度の「修正」が必要か、こっちで判断するから』
悠斗は言われるがまま、美咲のスマホのカメラを起動した。
散らかり放題の背景を背に、レンズに顔を向ける。
美咲の体は、無意識に愛想の良い「ピースサイン」を作った。
それは、彼女が会社では絶対に見せない、自虐的で、どこか投げやりな笑みだった。
(シャッター音)
この一枚の画像が、地獄のような共犯関係の始まりになるとは、この時の悠斗はまだ知る由もなかった。

男でも、人にもよりますが潔癖な人は部屋は片付いています。
女性でもずぼらな人は部屋は散らかり放題です。
異性の部屋に入ったことがない人は、ギャップにショックを受けないように。
相手も同じことを思っているかもしれません。
私ですか?私の部屋は足の踏み場もないですよw
次回更新:1/13(火) 21:00
「清潔なオヤジじゃなくて、抱きしめたくなるスベスベおじさんにしてあげる」
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