篠田翔太は、何気ない一日の始まりを迎えていた。
高校生としての日常は、彼にとって特別なものではなかった。
朝、いつものように家を出て学校へ向かう途中、近所のおばさん、田中久美子とすれ違った。
彼女は優しそうな笑顔で、「おはよう、翔太君」と挨拶をしてくれた。
「おはようございます、田中さん。」 翔太は軽く返事をし、そのまま歩みを進めようとした。
だがその瞬間、音が聞こえた。タイヤがスリップするような音が、二人の耳に届いた。
「危ない!」 久美子の叫びが響いたが、翔太は何が起こったのか理解する間もなく、視界がぐらりと揺れ、意識が遠のいた。
気がついたとき、翔太は全く見覚えのない部屋にいた。
ベッドに横たわり、手足に奇妙な違和感を覚える。
「ここは…どこだ…?」と、彼は呟いた。
声が普段の自分のものとは違い、柔らかく、落ち着いたトーンだった。
ベッドからゆっくりと体を起こし、部屋を見回す。
壁には柔らかなピンク色のカーテンがかかり、鏡台にはきちんと整えられた化粧品が並んでいる。
翔太は戸惑いながら、自分の手を見る。
その手は、彼が知っている自分の手とは全く違った。
細くてしなやかで、明らかに女性の手だった。
「何だ…これは?」 彼は自分の声に驚き、慌てて部屋の鏡を探した。
そこには、自分とは全く違う、年配の女性が映っていた。
信じられない思いで鏡に触れると、鏡の中の女性も同じ動きをした。
「どうして…俺が…田中さんに…?」 翔太は頭が真っ白になり、足元がぐらついた。
田中久美子は同じように目覚めたが、自分が病院のベッドに横たわっていることに気づいた。
周りには白い壁と清潔感のある空間が広がっている。
彼女が目を開けると、見慣れない天井が視界に入り、何かが違うと感じた。
「え…ここは?」 彼女は声を出そうとしたが、その声は自分のものではなかった。
恐る恐る自分の体を見下ろすと、そこには翔太の若々しい体があった。
驚きのあまり声も出せない久美子は、震える手で自分の顔を触った。
だが、その手も若く力強い。
「まさか…こんなことが…?」 彼女は声を震わせ、恐怖と混乱で頭がいっぱいになった。
数日後、翔太と久美子はお互いの家で生活を始めることになった。
事故の後、医者からはどうにもならないという診断を受けた二人は、現実を受け入れるしかなかった。
翔太は久美子として、彼女の生活を送ることに耐えなければならなかったし、久美子もまた、翔太として生きなければならなかった。
「翔太君…どうしたらいいのかしら?」 久美子は、翔太の体で彼の家のリビングに座りながら、不安そうに言った。
「正直、俺もどうしたらいいか分からない。でも…元に戻れないなら、俺たちができるのは、お互いの生活を続けることだけだ。」 翔太は久美子の体で、自分の声が聞こえるのに戸惑いながらも、冷静に答えた。
「でも、翔太君、あなたの家族や学校…どうやって説明すればいいの?」 久美子は泣きそうな声で訴えた。
「それも…考えなきゃいけないよね。でも、今は落ち着いて、一つずつ対処していくしかない。」 翔太は久美子の体で深いため息をつき、これからの不安を感じながらも、どうにかしてこの状況を乗り越えようと決意した。
最初の一週間、翔太は久美子としての生活に適応するのに必死だった。
彼女のクローゼットには、女性らしい洋服がたくさん並んでおり、そのどれもが自分には馴染みのないものばかりだった。
特に、彼女がよく着ていたワンピースやスカートは、翔太にとって大きな挑戦だった。
「これを着なきゃいけないのか…」 彼は朝、クローゼットの前に立ち、ため息をつきながらつぶやいた。
だが、久美子としての生活を続けるためには、避けられないことだった。
翔太は勇気を出してワンピースを手に取り、鏡の前でそれを着てみた。
鏡に映る自分は、完全に田中久美子そのものだった。
「これが…俺なのか…」 彼は鏡をじっと見つめ、驚きと恐怖が混ざった感情に襲われた。
スカートの裾を軽く持ち上げ、細くなった足元を見下ろすと、ふわりとした感触が新たな感覚を彼にもたらした。
「なんでこんなことに…」 彼はつぶやきながらも、少しずつこの体に馴染んでいく自分を感じていた。
最初は嫌悪感さえ抱いていたが、次第にその感覚に慣れ、心の奥底で奇妙な安堵感を覚えるようになっていた。
一方、久美子も翔太としての生活を続けていたが、その戸惑いは深かった。
翔太の学校に通うことは避けられなかったが、彼女は高校生としての生活に馴染むのに苦労していた。
クラスメートとの会話や、授業中の振る舞いなど、何もかもが彼女にとっては異質だった。
「翔太…君の友達って、本当に元気ね。」 放課後、彼女は翔太の友人たちに囲まれ、笑顔を作りながら言った。
「おい翔太、今日は何でそんなに静かなんだ?」 友人の一人が不思議そうに尋ねる。
「え、いや…ちょっと考え事してて。」 久美子は焦りながら、どうにかその場をしのごうとした。
しかし、日が経つにつれて、翔太としての生活にも少しずつ慣れていった。
彼女は自分が翔太の体で行動することで、若さや活力を取り戻したような気がしていた。
しかし、その一方で、元に戻れないことへの不安は日に日に増していった。
数ヶ月が過ぎたころ、二人はそれぞれの新しい生活にある程度慣れたものの、心の中にはまだ大きな葛藤が残っていた。
翔太は久美子の体で過ごすうちに、彼女が抱えていた苦労や孤独を理解するようになっていた。
そして、久美子もまた、翔太の体で若さの裏に隠された悩みやプレッシャーを感じ取るようになっていた。
「翔太君…」 ある日、久美子は翔太の家に訪れ、真剣な表情で言った。
「何?」 翔太は久美子の体で、彼女の様子をじっと見つめた。
「もう元に戻ることはできない…そう感じるの。」久美子の言葉は、まるで重たい現実を突きつけるようだった。
翔太は息を飲み、その言葉の重みを感じた。「それって…もう、永遠にこのままってこと?」
久美子は静かに頷いた。「色々と考えたけど、やっぱりどうしようもないみたい。これが、私たちの新しい現実なんだと思う。」
翔太は久美子の体で自分の手を見下ろし、指をそっと動かした。
女性としての生活に少しずつ慣れてきた自分がいたことに気づき、複雑な感情が胸に広がった。
「でも…俺、まだこの体に完全に馴染めてるわけじゃない。いつもどこかで違和感があるし、何をするにも不安なんだ。」
「私も同じよ、翔太君。」久美子は優しく微笑み、翔太の手を握った。
「でも、もう私たちはお互いの人生を背負って生きていくしかない。それがたとえどんなに辛くても、前を向くしかないのよ。」翔太は久美子の言葉を胸に刻み込み、深く頷いた。
「分かったよ、田中さん。いや…これからは『久美子』って呼ばないとね。」二人はしばらくの間、手を握り合ったまま、静かに時間が流れるのを感じていた。
その時間の中で、翔太は少しずつ自分の中に芽生えた新たな覚悟を感じていた。
これからの人生をどう生きるか、彼の心には新たな決意が生まれつつあった。
そして、久美子もまた、翔太の体で新しい生活を歩むことを受け入れ始めていた。
彼女は、この体でできることを見つけ、新しい自分としての人生を切り開いていく覚悟を決めたのだった。
性別はもちろんですが、いきなり歳取ったらどうしたものかとなってしまいますね。
若返る側は気楽かもしれませんが、また学校通うとか試験受けるとかはきついです。
結局は元のまま生きるのが大概の人に取っては楽なのかな?と。
よっぽど壮絶な人生歩んでたら別ですが。
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