脳筋男子は女心を理解するために女装に走った。

埼玉県立青空高校の放課後。
野球部のグラウンドから聞こえる威勢のいい声とは対照的に、三年二組の教室には重苦しい沈黙が流れていた。
「悠人、あんた本当にデリカシーの欠片もないわね」
窓際の席で頬を膨らませているのは、悠人の彼女である美咲だ。
普段は快活な彼女が、今はまるで雷雲を背負っているかのように不機嫌だった。
原因は、ほんの数分前の会話にある。
美咲が「最近、少し進路のことで元気がなくて……」と珍しく弱音を吐いたことに対し、悠人が返した言葉がこれだ。
「いいか美咲、悩むのは脳の血流が悪い証拠だ。まずはプロテイン30gを摂取して、スクワットを限界までやって、十時に寝ろ。成長ホルモンがすべてを解決する」
悠人にとって、これは最大限の誠意だった。
野球部のエースを目指す彼にとって、身体を整えることは精神を整えることと同義だ。
しかし、美咲が求めていたのは「解決策」ではなく、隣で「大変だったね」と言ってくれる「共感」であった。
「……プロテインで解決するなら、この世にカウンセラーなんていらないわよ。少しは私の立場になってよ! 女心を少しは理解する努力をしたら?」
美咲の語気が強まる。悠人は混乱した。
マウンドの上で満塁のピンチを迎えても動じない強靭な心臓が、今は彼女の一言でバクバクと不規則に波打っている。
悠人は真面目だ。そして、極端だった。
彼の思考回路は常に最短距離を走る。
野球を理解するために千本の素振りをする。
ならば、女心を理解するためにすべきことは何か。
「……女の立場、か。わかった」
悠人の視線が、教室の隅に置かれた美咲のスポーツバッグに向かった。
そこからは、予備の制服のスカートが、少しだけはみ出していた。
「美咲。その制服、俺に貸せ」
「はあ? あんた、何を……ちょっ、悠人!?」
美咲が止める間もなく、悠人はバッグからネイビーのブレザーとチェックのプリーツスカートをひっ掴むと、猛然と男子トイレへと駆け出した。
男子トイレの個室。悠人は唸っていた。
「……き、きつい……っ」
まず、ブラウスの袖を通す時点で、鍛え上げられた上腕二頭筋が悲鳴を上げた。
生地が「ミシッ」と嫌な音を立てる。
肺活量を確保するために胸のボタンを一つ外したが、それでも胸筋の厚みで生地がパンパンに張っている。
そして、人生初のスカート。
腰を通す感覚が、どうにも頼りない。
「なんだ、このスースーする感覚は……。守備力が皆無じゃないか」
個室から出た悠人は、手洗い場の鏡の前に立った。
そこには、異常に肩幅の広い「女子高生」が立っていた。
しかし、元々中性的な顔立ちで睫毛が長い悠人は、意外にも「見られないこともない」姿になっていた。
「悠人、あんた本気なの?」
トイレの前で腕を組んで待っていた美咲が、溜息をつきながら入ってきた(放課後の男子トイレは誰もいない)。
美咲は呆れ半分、好奇心半分といった様子で悠人を観察し始めた。
「女の苦労を知れば、お前の言った『共感』ができるはずだ。おい美咲、このスカートの構造欠陥は何だ? 背後からの強襲に弱すぎるぞ」
「それはあんたが普段、ズボンで守られすぎてるのよ。……しょうがないわね、毒を食らわば皿までよ。徹底的に仕上げてあげる」
美咲の「クリエイター魂」に火がついた。
彼女は悠人を美術室の裏に連れ込み、予備の茶髪ウィッグと、携帯用のメイク道具を取り出した。
美咲の指先が、悠人の肌を滑る。
「じっとしてて。ファンデーション塗るから。女の子はね、毎日こうやって『武装』して外に出てるのよ。少しは分かってきた?」
「……肌が呼吸しにくいな。これが女子のプレッシャーか」
十分後。そこには、写真の中の彼女が現れた。
長く整った茶髪、淡い色のチーク、そして少し潤んだ唇。
悠人は、鏡の中の自分を「誰だ、この可愛いやつは」と、他人事のように見つめた。
「よし、完璧。今日のあんたは『悠里ちゃん』ね。しっかり女の立場を体験してきなさい!」

女子の制服はスカートはともかくですが
ブレザーの肩幅は結構きついです。
でも肩幅に合わせて選ぶと、今度は前がスカスカ。
詰め物使って体型補正しないとな。


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