
放課後、いつも通りの喧騒に包まれた教室で、僕はぼんやりと空を見上げていた。
梅雨明けが近いのか、湿気を含んだ空気が肌にまとわりつく。
早く帰って、買ったばかりのゲームを始めたい。
そんなことを考えていた矢先、背後から突然、嵐のような声が飛んできた。
「ねぇ、悠真(ゆうま)、ちょっと付き合ってよ!」
反射的に振り返ると、そこにはクラスメイトであり、そして幼馴染の結(ゆい)が、仁王立ちで僕の腕を掴んでいた。
細いようでいて、意外なほど力強いその手に、僕は思わず呻く。
「な、なんだよ、怖い顔して……まさかまた、忘れ物でもしたのか?」
結は眉間にしわを寄せ、ぷくりと頬を膨らませた。
その仕草は、昔から変わらない。
小学生の頃から、何かと僕を巻き込んできた張本人だ。
「違うってば!もっと大事なこと!プリクラ行こ!今ね、期間限定の魔法のプリズムっていうフレームがあってね、めっちゃ盛れるんだよ! 女子の間じゃ超話題なんだから!」
熱弁を振るう結の瞳は、期待と興奮でキラキラと輝いている。
話題のプリクラ、盛れるフレーム。
僕には全く縁のない言葉の羅列だった。
「……は?なんで俺が?」
僕は心の底から疑問を呈した。
プリクラなんて、女子がキャーキャー言いながら撮るもので、男である僕がそこに加わる意味がわからない。
「だーかーらー、男子の意見も聞きたいの!ほら、悠真って童顔だし、中性的な顔してるから、きっと可愛く写るよ〜?女の子の服とかも似合いそうだし!」
結は僕の顔をじろじろと見つめ、そう言ってニヤニヤと笑った。
その言葉に、僕の額に青筋が浮かび上がる。
童顔だの、女の子っぽいだの、散々言われてきたことだが、幼馴染にまで言われるとさすがにムカつく。
「なんだそれ。可愛いとか、お世辞でも嬉しくねえよ。それに、女子の服が似合うとか、余計なお世話だ!」
「えー、別に褒めてないし?ただ事実を言っただけだし?」
ケラケラと笑う結に、僕は言い返す気力も失せた。
昔からそうだ。結にはいつも、僕のペースが乱される。
彼女の強引さに逆らったところで、結局は丸め込まれてしまうのが常だった。
ため息をつきながら、僕は諦めにも似た感情で頷いた。
「わかったよ、わかった。行くよ、行けばいいんだろ。どうせお前は僕の意見なんて聞かないんだから」
「やったー!さすが悠真!話がわかる!」
結は僕の腕を掴んだまま、ぐいぐいと僕を引っ張っていく。
まるで散歩に連れて行かれる大型犬になった気分だった。
ゲームセンターは学校から歩いて五分ほどの場所にある。
短い時間ではあったが、その道中、結はプリクラについて熱く語り続けた。
どのフレームが可愛いとか、どんなポーズをすると盛れるとか、男子には全く理解できない話ばかりだ。
僕は相槌を打ちながらも、内心では早くこの時間が終わってほしいと願っていた。
ゲームセンターの自動ドアをくぐると、途端にけたたましいゲーム音が耳に飛び込んできた。
熱気と興奮が渦巻くフロアを進む結の背中を追いながら、僕は少しだけ不安を感じていた。
本当に、このまま結に付き合っていても大丈夫なのか?
そんな漠然とした予感が、胸の奥でひっそりと芽生えていた。
プリクラ機の前に立つと、結は一瞬にして目を輝かせた。
その表情は、まるで初めておもちゃを与えられた子供のようだ。
「わー!すごい!やっぱりこの機械、最新のだ!ねぇ悠真、見て!このライトとか、なんかいつもと違う感じがしない!?」
結が指差す先には、確かに通常のプリクラ機とは一線を画す、やたらと派手な装飾が施された機械が鎮座していた。
機械の周囲には、七色の光を放つ小さなプリズムのような飾りがいくつも取り付けられており、それが幻想的な雰囲気を醸し出している。
「へえ、まあ、派手だな……」
僕は素っ気なく答えた。
正直なところ、どんなに派手な機械だろうと、僕にとってはただのプリクラ機に過ぎない。
「もう!もっと感動してよ!じゃ、さっそく入ろ!」
結はそう言って、僕の腕を掴んだままプリクラ機のカーテンを勢いよく開けた。
中に入ると、外の喧騒が嘘のように遠のき、まるで異世界に迷い込んだかのような錯覚に陥った。
壁一面に貼られたキラキラとしたシールや、意味不明なキャラクターのイラスト。
そして、やたらと明るい照明が、僕たちの顔を照らし出す。
独特の甘い匂いが充満していて、僕は少しだけ居心地の悪さを感じていた。
結は慣れた手つきで操作パネルに向かう。
僕がボタンの配置すら理解できないうちに、彼女はテキパキと画面をタップしていく。
「えーっと、まずはコース選択っと……よし、これでいいかな!はいっ、魔法のプリズムフレーム選択っと……!ふふっ、いくよ!」
結が楽しそうに笑い、僕の方を振り返った。
その笑顔に、僕は一瞬だけ目を奪われた。
いつもはうるさいだけの幼馴染だが、こうして無邪気に笑う顔は、時折ハッとするほど可愛らしく見えることがある。
しかし、次の瞬間にはその思考を打ち消すように、僕は慌てて顔を逸らした。
「ま、待てって……!まだ心の準備が……」
僕が言い終わる前に、結は既にシャッターボタンに指をかけていた。
彼女の指がボタンを押し込んだ、その刹那――。
カシャッ!
強烈なフラッシュが、僕たちの視界を容赦なく襲った。
普段のプリクラのフラッシュとは比べ物にならないほど強力な光に、僕は思わず目を瞑る。
視界が一瞬、真っ白に染まり、何も見えなくなった。
強烈な光は、僕の脳裏に焼き付くように残り、まるで幻覚を見ているような感覚に陥った。
全身の細胞が、一斉に逆立つような、奇妙な浮遊感。
そして、何かが身体の中からすり抜けていくような、漠然とした喪失感に襲われた。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
一瞬だったようにも、永遠のようにも感じられたその閃光の後、僕はゆっくりと目を開いた。
最初に感じたのは、床の冷たさだった。
僕はプリクラ機の中ではなく、フロアの片隅に座り込んでいた。
「……っ、あれ……?」
視界が、違う。いつもより少しだけ、視点が高いような気がする。
それに、なんだかぼんやりとしている。いや、それよりも、身体が軽い。
いつもは、もう少しずっしりとした重みを感じるはずなのに。
「これ……なんだ?」
自分の身体を見下ろす。
制服は着ている。
しかし、僕が着ているはずの男子制服ではない。
スカート。ブレザー。胸元には、見慣れないリボンが結ばれている。
そして、その胸には、ふっくらとした膨らみが……。
「う、嘘だろ……」
思わず触れてみる。
柔らかい感触。
明らかに、僕の身体ではない。
そして、目の前で揺れる、肩まで伸びた髪。
いつもは短く刈り込んでいるはずの僕の髪が、こんなに長いはずがない。
「ちょっ!? これ、誰の体だよ!?」
混乱した僕の声が、いつもよりも少しだけ甲高く響いた。
僕の声じゃない。僕の身体じゃない。一体、何が起きているんだ?
その時、背後から、聞き慣れた、そして聞きたくない声がした。
その声は、悪戯っぽく、そしてどこか愉快そうに、僕を呼んだ。
「やっほ〜悠真♪」
恐る恐る振り返る。そこに立っていたのは、僕の制服を身につけ、僕の顔で、しかし全く僕ではない表情でニヤニヤと笑っている誰かだった。その、僕の顔をした誰かは、僕の普段の無愛想な表情とはかけ離れた、悪役のような笑みを浮かべていた。
「おい……まさか、お前……結か!?」
僕の問いに、僕の顔をした結は、僕の口調を真似て、わざとらしく頷いた。
「ビンゴ〜!いやぁ、まさか本当に入れ替わっちゃうなんてね!魔法のプリズムって名前、伊達じゃないってことか!すごいね、悠真の身体って、なんか思ったより筋肉質だね!わー、男の人ってこんな感じなんだ!」
結は僕の身体を好奇心旺盛に触りまくっている。
自分の身体が、今、結の好き放題にされている状況に、僕の頭は真っ白になった。
脳みそが沸騰しそうなほどの怒りと混乱が、同時に押し寄せてくる。
「喜んでる場合かあああああああああ!!!」
僕は叫んだ。
甲高い、しかし確かに僕ではない声で。
結の身体に入ってしまった僕の叫びは、しかしゲームセンターの喧騒にかき消され、誰にも届くことはなかった。
僕たちの奇妙な日常は、この瞬間、唐突に始まったのだった。
ゲームセンターの片隅で、僕たちは口論を続けた。
僕の身体に入った結は、状況を楽しんでいるかのように、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「だからさ、悠真。ちょっと落ち着きなよ。どうせ一時的なもんでしょ?すぐに元に戻るって!それよりさ、この身体、意外と悪くないね!なんか、視界が新鮮!」
「落ち着いていられるか!お前、鏡見てみろ!俺の顔でニヤニヤしてんじゃねえよ、気持ち悪い!」
僕がそう叫ぶと、結は僕の身体の頬をぷくりと膨らませた。
僕が普段見せるような、不機嫌そうな仕草が、僕の顔で再現されることに、僕は鳥肌が立った。
「それはこっちのセリフだってば!あんたのその可愛い顔で、そんな男みたいな声出すの、違和感ありすぎなんだって!それに、このスカート、短すぎない?下着が見えそうで落ち着かないんだけど!」
結(中身は悠真)は、自分が着ているスカートを引っ張りながら不満を口にした。
その言葉に、僕は自分が今、女子の制服を着ていることを改めて思い出し、羞恥心が沸き上がってきた。
「うるさい!とにかく、どうするんだよこれ!このままじゃ、家にも帰れないだろうが!」
「えー、別にいいじゃん。うちの両親、今日は帰り遅いから大丈夫!悠真の家には適当に電話して、なんか部活で遅くなるって言っておくから。ね、そうしよ!」
有無を言わさぬ勢いで、結は僕の腕を掴み、ゲームセンターを後にした。
そのまま、僕は結に連れられて彼女の家に行く羽目になった。
結の家は、僕の家から徒歩10分ほどの場所にある、どこにでもあるような一軒家だ。
何度か遊びに来たことはあるが、泊まるのは初めてだった。
しかも、この状況で。
結の部屋に入ると、そこは女子特有の甘い香りがした。
可愛らしいぬいぐるみや、雑誌が散乱している。
僕の部屋とは正反対の空間に、僕は早くも戸惑いを覚えていた。
「さて〜、まずは女子の基本から教えてあげよう♪」
僕の身体に入った結は、満足げな顔で僕を見下ろした。
その表情は、まるでベテラン教師が生徒を指導するかのようだった。
「やめろ、その顔で俺の口調使うな、気持ち悪い!」
「それはこっちのセリフだってば!ほら、まずは着替えだよ。悠真、サイズ合うか心配だけど、私の部屋着でいいかな?」
そう言って結が差し出してきたのは、フリルが付いた可愛らしいパジャマだった。
僕は一瞬たじろいだが、着替えないわけにはいかない。
しかし、いざ着替えようとして、僕は最初の試練に直面した。
「は?これ、履くの?この布少なっ……」
僕が手にしたのは、結の……いや、この身体の、下着だった。
小さすぎるその布に、僕は衝撃を受けた。
僕が普段身につけているトランクスとは、あまりにもかけ離れた形状だ。
「えー、何言ってるの悠真!当たり前じゃん!それ、私のお気に入りのやつだから、破かないでよ?」
結は呆れたように僕を見た。
僕は恐る恐る、その下着を身につけた。
あまりの薄さと、今まで感じたことのない締め付け感に、全身がムズムズする。
「いやいや、それはまだマシ。ストッキングの履き方とかわかる?女子の制服には、ストッキングが必須なんだよ。お風呂のときシャンプーとかどうする?髪、長いんだからちゃんとリンスも必要だし。スキンケアもだよ?化粧水とか乳液とか、ちゃんとつけないと肌荒れしちゃうんだからね!」
結は矢継ぎ早に、僕が今まで一度も考えたことのない「女子のたしなみ」を捲し立ててくる。
僕はただ、呆然と彼女の言葉を聞いていた。
風呂に入ることすら、こんなにも複雑なものだったのか。
「……女子、大変すぎだろ」
僕の呟きに、結はニヤリと笑った。
「でしょ?でもその分、可愛くなれるんだから♪さあ、悠真、早く着替えなよ。お腹も空いたでしょ?なんか食べさせてあげるから!」
結は僕の身体を引っ張り、僕を風呂場に押し込んだ。
僕は茫然自失のまま、初めての「女子の入浴」を体験することになった。
長い髪の毛を洗う手間、全身に塗るボディソープの甘い香り、そして、湯船に浸かった時の身体の軽さ。
全てが、僕にとって未知の感覚だった。
湯船から上がると、鏡に映る自分ではない「自分」の姿に、僕は改めて衝撃を受ける。
いつも見慣れた僕の顔に、見慣れない長い髪。
そして、胸元には確かに膨らみがある。
違和感しか感じない。本当に、これは一時的なものなのだろうか。
僕は不安と、そして僅かな好奇心とが入り混じった複雑な感情を抱えながら、結の用意してくれた夕食を口にした。
その夜、僕は結の部屋で、慣れないパジャマを着て眠りについた。

プリクラなんて最後に撮ったのいつだろう?
大昔は男だけでも撮れたんですけどね。
今は女性がいないと撮れないとか、男性差別ですか?
まあ、それで困ったこともないんですけどw
続き ー続・入れ替わり生活ー
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