
鏡の中には、ピンクの袴に緑の羽織をまとった女の子がいた。
大きな瞳、肩まで伸びたウィッグ、口角を上げた控えめな笑顔。
……そして、その正体は…俺だ。
「……うん、今日も違和感すごいな」
つぶやきながら、春樹は帯を締め直した。
大学二年、二十歳。バイト歴三ヶ月。
職場は女装コンセプトカフェ『花衣亭(はないてい)』。
金欠の末に流れ着いた場所だった。
時給はそこそこ、衣装は派手、そして恥ずかしさはMAX。
「はーるちゃん、鏡の前で固まってる時間、三日連続で優勝ね」
控室のカーテンを開けて入ってきたのは、美羽。男装担当の先輩スタッフだ。
黒のスーツに短髪のウィッグ、腰にはおもちゃの刀。立ち姿がやたらサマになる。
「優勝とかいらないっす。てか、なんで侍風テーマの日にまで女装なんすか俺」
「店長の趣味よ。今日のテーマは“華の剣士の日”。お客さんの前で優雅に刀を抜くんだって」
「はぁ!? 抜刀!? 俺、剣道部でもなかったし、抜き方とか知らねぇんですけど!?」
「大丈夫大丈夫。抜けない方が可愛いから」
「褒めてるようで褒めてねぇ!」
そこへ、舞台袖のカーテンが勢いよく開いた。
「はぁーい諸君! 今日も花衣亭に春の風を吹かせるわよぉ!」
現れたのは店長——もとい、ママ。
性別も年齢も不明。
派手なアイシャドウと長い羽織を揺らしながら登場する姿は、もはや舞台役者そのものだ。
「今日は特別イベント『華剣の儀』! 女の子らしい所作で、お客様の心を斬るの! 文字通りね!」
「……文字通りって、刀振っちゃダメですよね?」
「もちろんダメよぉ! 振らずに、抜くのっ! 抜刀の美学よ!」
ママの言葉に、春樹は無意識に自分の腰の模造刀へ視線をやる。
……抜刀の美学、ね。
そんなものが存在するなら、きっと俺には一番縁遠いジャンルだ。
「春ちゃん、主役はあんたよ」
美羽の声が聞こえた瞬間、春樹の脳内警報が鳴った。
「えっ、俺!? いやいやいや、なんで!?」
「だって今日、新顔の日なんだもん。初々しい方がウケるのよ」
ママは満面の笑みを浮かべて親指を立てる。
「初々しい失敗ほど尊いの。さあ、恥ずかしさを捨てて、華麗に抜くのよ!」
いや、そんなノリで抜刀を任せるな。
春樹は心の中で全力でツッコみながら、仕方なく準備を整えた。
開店時間。
『花衣亭』の扉が開き、いつもの常連客たちが入ってくる。
着物や袴姿のスタッフが優雅に「おかえりなさいませ」と頭を下げるたび、和風のBGMが流れる。
客層は男女半々。
写真を撮る女子高生、静かに眺める年配の男性、カップルまで。
この異世界っぽい非日常空間が、妙に人気らしい。
「春ちゃん、ステージ行こっか」
美羽に背中を押され、春樹は舞台の中央へ。
照明が当たり、全員の視線が集まる。手汗が止まらない。
「……お、お待たせいたしました。本日、華剣の儀を務めます、春でございます」
言いながらお辞儀。声が少し裏返った。
パチパチと拍手。
よし、ここまではなんとか乗り切った。
あとは、刀を抜くだけ。
春樹は深呼吸をして、鞘に手をかけた。
ゆっくりと引く。
……抜けない。
もう少し力を入れる。
……びくともしない。
(あれ? おかしいな。引っかかってんのか?)
焦り始めた瞬間、鞘を持つ手が滑ってカタリと音を立てる。
客席がざわつく。
「え、演出?」「かわいい……」「頑張れー!」
(頑張れーじゃねぇ!こっちは命がけだよ!)
必死に力を入れるが、鞘は春樹の抵抗をあざ笑うかのようにピクリとも動かない。
「お、お見苦しいところを……」と無理に笑ってみせるが、顔が引きつっているのが自分でも分かる。
客席の最前列、女子高生コンビがスマホを構えている。
「あの必死な顔……尊い……」
(やめろ、撮るな、それバズるやつだ!)
その瞬間、美羽が舞台袖から身を乗り出し、口パクで「笑え!」と合図を送ってきた。
春樹は涙目で無理やり笑顔を作る。
「に、にこっ……」
会場が湧いた。
「かわいい〜!」「抜けないのも演出だね!」
(演出じゃねぇよ!)
結局、刀は最後まで抜けず、春樹はお辞儀をして退場した。
足元がふらつきながら、控室へ戻る。
美羽とママが拍手で出迎える。
「春ちゃん、最高だったわ! 抜けないお侍なんて、ギャップ萌えよ!」
「いえ、俺はただの不器用な男です……」
「不器用でもいいの。ステージの真ん中に立ってたじゃない。ちゃんと、みんな見てたわ」
その言葉に、春樹は少しだけ息をついた。
鏡を見ると、ウィッグの下の額にはうっすら汗。
春の笑顔はどこかぎこちないけれど、少しだけ誇らしげに見えた。

YouTubeでも抜刀の達人の動画とか上がってますが
いつ抜いてるのかまるで見えない。。。
試したい人は模造刀買ってチャレンジしてください。
インフルは症状が落ち着きました。
週2ペースが守れなくなるかとちょっと焦った。
いいねとかコメントくれた方、放置してしまってすみません。


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