
「はぁ……」
春日悠は、誰に聞かれるともなく小さなため息をついた。
高校二年の夏休みも終盤。
部活棟の裏手にある誰も使わない更衣室で、悠は制服のシャツの袖をまくりながら、ぼんやりと自分の腕を見つめていた。
中性的だ、と言われる。
特に肌が白いせいか、学年では小柄な方に入るせいか、男子としては頼りない、女子としては可愛らしい、というなんとも形容しがたい立ち位置にいる。
(別に、男らしさにこだわる必要なんてないはずだろ。わかってる。わかってるんだけどさ……)
周りを見れば、親友の蓮みたいに、太陽の下で汗を流して真っ黒に日焼けした、いかにも健康優良児といった男子が多い。
そんな中、悠がファッション雑誌の表紙を飾るモデルのメイクや、最新のコスメの記事に夢中になっていることは、誰にも言えない、内緒の趣味だった。
「春日ー、何やってんだ、隅っこで。サボりか?」
不意に背後から声をかけられ、悠は飛び上がった。
振り向くと、親友の秋元蓮が、バスケットボール部の練習着のまま、ペットボトルの水を飲み干しているところだった。
汗で髪が額に貼り付いている。
「あ、蓮。いや、サボりじゃなくて、ちょっとぼーっとしてただけ」
「ふーん。元気ねーな。どうせまた、難しいこと考えてんだろ。……お前さ、最近、スマホ見てる時、顔がニヤけてる時あるぞ。変なアプリでも見つけたか?」
蓮は口元を緩め、からかうように言った。
悠の心臓が「ドキン」と鳴った。
バレたか、と一瞬冷や汗をかいたが、すぐに平静を装う。
「な、何を言ってるんだよ。ゲームの攻略サイト見てただけだよ。さっさと練習に戻れよ、部長さん」
「はいはい。今日の放課後、例のアレ、手伝いに来いよ。姉貴から連絡来てたぞ」
「おう、わかってる」
蓮の姉、美咲は地元の演劇サークルに所属しており、そのサークルの衣装作りを、手先が器用な悠が手伝うのが最近の恒例になっていた。
美術の授業で裁縫やデッサンが得意だったことが、この秘密の依頼に繋がったのだ。
放課後、蓮の自宅。
リビングには、様々な色の布やレース、縫いかけのドレスや小道具が山積みになっていた。
「悠、ここお願いね。このフリル、あとでギャザー寄せて身頃につけるから」
美咲はそう言うと、作業台の前に座る悠に淡いピンク色の生地を手渡した。
いつもは黙々と作業に没頭する悠だったが、その日は美咲が広げたある衣装に視線が釘付けになっていた。
それは、舞台のクライマックスで主役の女優が着用する予定の、深紅のサテンと黒のレースで構成されたゴシック調のドレスだった。
「すごいな、これ。……美咲さん、これ、もう完成ですか?」
「ううん、まだ仮縫いの途中。サイズの調整が難しいのよね。演者さんに着てもらって微調整したいけど、なかなか都合が合わなくて」
美咲は作業に集中していたため、悠の問いに軽く答えるだけだった。
(仮縫い……サイズ調整……)
その時、悪魔の囁きのような、あるいは抗いがたい好奇心のような衝動が、悠の胸を突き上げた。
「あの、美咲さん。もしよかったら、僕が、代わりに、着てみてもいいですか?」
美咲の手が止まった。蓮はすでに練習に戻っていてこの場にいない。
美咲がゆっくりと悠に顔を向ける。
「え? 悠が? でも、これ、一応女性用で、かなり細身に作ってるけど……」
「大丈夫だと思います。僕、身長も高くないですし、体格もそんなにガッチリしてないから……」
悠は、なぜ自分がこんなことを言い出したのか、自分でもわからなかった。
しかし、そのドレスに袖を通してみたい、という気持ちが、恥ずかしさや戸惑いを凌駕していた。
美咲は少し戸惑った様子だったが、すぐに面白がって笑った。
「ふふ、まあ、確かにあなた、女性の私より華奢かもしれないわね。いいわよ。試しに着てみて。袖を通したら、動きにくいところとか教えてくれる?」
そして数分後。
悠は、重みのある生地に包まれていた。
コルセットでウエストを締め、背中のファスナーを美咲に上げてもらうと、ドレスはまるでオーダーメイドのように彼の身体にフィットした。
胸元は少し窮屈だったが、スカートの重さが足元に心地よく、レースの袖が腕を優雅に覆った。
「……え」
悠は、美咲に促されるまま、作業場の隅に置かれていた大きな姿見の前に立った。
鏡に映っているのは、いつもの制服姿の春日悠ではなかった。
深紅のドレスを纏った、見知らぬ誰か。
顔はまだ男のまま、髪もいつもの短髪だが、ドレスの魔力は絶大だった。
鎖骨のラインや、細く締まったウエストが強調され、自分の身体がこんなにも女性的なラインを描くことに、悠は強い衝撃を受けた。
「どう? ぴったりじゃない。やっぱりあなた、細いわねぇ。あとはウィッグとか付けてメイクしたら、主役交代よ」
美咲が楽しそうに言う。
悠は美咲の声も聞こえないほど、鏡の中の自分に集中していた。0
(綺麗だ……。これが、僕の身体?)
その一瞬、悠の心に芽生えたのは、恥ずかしさでも、戸惑いでもなかった。
それは、一種の歓喜だった。
自分の内側に秘められていた「美しさ」が、そのドレスによって解放されたような感覚。
男として生きる自分には必要のないはずの「優雅さ」「華やかさ」が、自分の中にちゃんと存在している。
そして、その存在に、自分自身が一番、心惹かれてしまったのだ。
美咲に手伝ってもらい、ドレスを脱いだ後も、悠の興奮は冷めなかった。
その夜。悠は自室のベッドの上で、携帯を握りしめていた。
「女装 メイク」「中性的 コスプレ」「男の娘 やり方」
検索履歴には、昼間には決して見ることのなかったキーワードが並ぶ。
美咲のドレスを着た時の高揚感が、彼の行動を加速させていた。
『初めてでも簡単! 男の娘メイク術!』というタイトルのブログにたどり着いた悠は、その熱心な解説を食い入るように読み始める。
(チークは丸く、眉毛は細く……隠すなら、まずファンデーションを厚く塗って……)
悠の指が、画面をスクロールする。
目の前に広がるのは、自分の好奇心を満たし、あの時の高揚感を再び味わうための、小さな秘密の入り口だった。
「よし……まずは、メイク道具だ」
悠は、翌日からバイトを増やそうと心に決めた。
自分を「変身」させるための、最初の、そして誰にも言えない一歩を踏み出したのだった。

一度着てしまうと割とハマりやすいのが女装
その後はウィッグ買ったり、服買ったり
化粧品も買ったりして
まあ、ウィッグはともかく服は結構イメージと合わなかったり
化粧品はあんまり使わなかったり、いい感じの化粧水は相方に使われたり
そんなでも楽しめるから良いと思います。


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