佐藤直人の人生は、どこまでも平坦で、色褪せた舗装道路のようなものだった。
中堅商社の事務職として、書類の山と格闘し、定時になれば馴染みの居酒屋でホッケの開きをつつきながら、同僚と代わり映えのしない上司の悪口を言い合う。
それが彼の世界のすべてであり、それ以上の何かを望むほど、彼は若くもなかった。
だが、その夜、親友の健太に連れられて足を踏み入れたコンセプトバー『ミラージュ』は、彼の平穏な日常を根底から揺さぶる、どろりとした欲望の吹き溜まりだった。
「直人、ここは普通のコスプレパブとは格が違うぜ。なんというか、もっと『業』が深いっていうかさ」
健太のニヤけた顔を無視し、直人は紫色のネオンが怪しく明滅する店内を見渡した。
空調の効きすぎた室内には、安っぽい香水の香りと、大勢の人間が吐き出す熱気が混ざり合い、奇妙に生暖かい空気が滞留している。
その狂騒の最奥、ステージを兼ねたカウンターの隅に、彼女はいた。
彩香――。
ミニ丈の紺色のセーラー服を纏ったその姿に、直人は視線を釘付けにされた。
それは、テレビや雑誌で見るような「女子高生」の瑞々しさとは対極にある、凄惨なまでの「熟れきった肉体」の誇示だった。
推定年齢は四十代後半、あるいは五十代に差し掛かっているだろうか。
セーラー服の白い襟元から覗く首筋には、隠しようのない年輪のような皺が深く、何本も刻まれている。
厚く塗り固められたファンデーションの下には、重力に逆らえなくなった頬の肉がわずかに弛み、笑うたびに目尻の皺が深い溝となって浮き上がった。
だが、何よりも直人を圧倒したのは、その肉体が放つ「生々しさ」だった。
短いスカートから伸びる太ももは、十代のそれとは明らかに質感が違う。
白く、しかしどこか血の巡りが悪そうな、浮腫(むく)んだような重量感。
膝の周りには余分な脂肪が溜まり、歩くたびにその肉が細かく震える。
ストッキングの網目からは、長年の立ち仕事の代償か、静脈瘤のような血管の膨らみが、不気味な凹凸となって透けて見えた。
(なんだ、あの人は……。あんな格好をして、恥ずかしくないのか?)
嫌悪感にも似た感情を抱きながら、直人はその姿から目を離せなかった。
彩香が客に酒を注ぐたびに、二の腕の裏側の肉が「振り袖」のように揺れる。
その仕草一つ一つに、男を惑わすために磨き上げられた、完熟した雌としての執拗な色香が漂っていた。
彼女が近くを通った瞬間、直人の鼻腔を、逃げ場のない「匂い」が襲った。
若者の汗の匂いではない。
それは、使い古された化粧品の脂っぽい油分と、ホルモンバランスの乱れが生み出す、重く、粘り気のある特有の加齢臭だった。
熟した果実が腐敗の一歩手前で放つような、甘ったるくも饐(すえ)えた、生理的な本能を逆撫でするような臭いだ。
「すごいな、あの人……」
直人が思わずカメラを向けたその瞬間、レンズ越しに彩香と目が合った。
彼女は、すべてを見透かしたような、あるいは獲物を追い詰めた捕食者のような、妖艶な微笑みを浮かべた。
その瞳は、濁っていながらも、底知れない欲望の炎を宿している。
「ちょっと、手伝ってもらえないかしら?」
気づけば、直人は彼女の甘い残り香に誘われるように、店の奥にある控室へと足を踏み入れていた。
控室の中は、表の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
壁には古びた鏡が掛けられ、卓上には使いかけの口紅や、脂ぎったパフが散乱している。
「実はね、この鏡の調子が少し悪くて。あなたが支えてくれると助かるんだけど。」
彩香が直人のすぐ後ろに立った。
彼女の身体から発せられる熱が、直人の背中に伝わってくる。
中年女性特有の、厚みのある肉体の圧迫感。
彼女の指が、直人の腕に触れた。
その指先は驚くほどカサついていて、家事や仕事の苦労を物語るような硬い質感をしていた。
「この鏡、不思議な力があるのよ。覗いてみて。本当のあなたが見えるわ」
彩香の声が、耳元で湿り気を帯びて響く。
直人がその重厚な装飾の施された鏡を覗き込んだ瞬間、視界が爆発したような真っ白い光に包まれた。
脳を直接握り潰されるような、凄まじい衝撃。
視界が上下に激しく揺れ、全身の骨が一度砕かれ、再び異質な形に組み替えられていくような、おぞましい感覚が襲う。
心臓の鼓動が、自分の知っているリズムとは違う、少し遅くて重い、そしてどこか不規則な脈動へと変わっていく。
光が収まったとき、直人は膝から崩れ落ちていた。
「……っ、ぐ……」
漏れた声に、直人は戦慄した。
自分の低い、くぐもった声ではない。
それは、少し掠れていて、しかし粘り気のある、あの熟女――彩香の声だった。
慌てて鏡を仰ぎ見た直人は、悲鳴を上げようとして、喉を詰まらせた。
鏡の中にいたのは、セーラー服を着た彩香だった。
だが、それは先ほど遠くから見ていた「美しい熟女」ではなかった。
至近距離で見るその顔は、無惨なまでに「老い」を露呈させていた。
毛穴が開き、鼻の周りには角栓が詰まり、厚塗りしたファンデーションが皺の溝に溜まって白い筋を作っている。
そして何より、自分の胸元に感じる、かつて経験したことのない「肉の重み」。
(これ、俺か……? 俺が、この女になったのか!?)
直人は震える手で、自分の(彩香の)身体を触った。
スカートの上から掴んだ太ももは、恐ろしいほどに柔らかく、指が脂肪の中に深く沈み込む。
同時に、鼻腔のすぐ奥から、あの強烈な加齢臭が立ち上ってきた。
他人の匂いではない。
自分自身の皮膚から、脇から、股ぐらから、止めどなく溢れ出している、逃げ場のない自分自身の臭いだ。
「ごめんなさいね、直人さん」
背後から聞こえてきたのは、紛れもなく「直人の声」だった。
振り返ると、そこには自分のスーツを着て、自分の顔をした女――中身が彩香に入れ替わった自分――が立っていた。
彼女は、直人の身体に宿る瑞々しい筋力と、張りのある肌を、慈しむように撫で回していた。
「この重くて、臭くて、未来のない身体……もう限界だったのよ。あなたは若くて、健康的で、とても素敵。だから、交換してもらったわ。……あ、そのセーラー服、よく似合ってるわよ。シワだらけの老婆が着るより、ずっと生々しくて、いいわ」
彩香(直人の姿)は、直人の財布と携帯をポケットにねじ込むと、一度も振り返ることなく控室を出ていった。
「待て! 返せ! 俺の身体を返せ!」
叫ぼうとしたが、身体が思うように動かない。
腹の肉が邪魔をして、立ち上がるのさえ一苦労だった。
一人残された直人は、鏡の中の自分――セーラー服から脂肪をはみ出させ、脂汗を流し、異様な加齢臭を撒き散らす中年女性――を凝視した。
その瞳には、自分の人生が完全に奪われたことへの、底知れない絶望と、そして抗いようのない「肉体の現実」が、残酷なまでに映し出されていた。
彼は、自分の名前さえ奪われた。
これから彼を待っているのは、この「腐りゆく果実」のような肉体を抱え、男たちの欲望の掃き溜めで生きていくという、終わりのない地獄だった。

前に書いたときは、熟女の身体に困惑するだけの話でしたが、
今回はその流れをもっと生々しく修正してみました。
だいたい、入れ替わり関係の小説って、可愛い子になってラッキー
みたいな話ばっかりなので、たまには得しない話があってもいいかと。
ちなみに熟女が嫌いとか、そんなつもりは一切ないです。
むしろ偉そうな話ばかりする、おっさんの方が嫌い。
私がそうならないようにしないとな。。。
元の話



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