四十五歳の悠人は、自身の輪郭が腐り落ちていくような感覚の中にいた。
半年前まで、工場の要素技術部門でエンジニアとして機械の精度を管理していた男は、今や新宿の路地裏で、安酒の鼻を突くアルコール臭に脳を焼かれている。
再就職の面接に落ちるたび、彼は「社会の規格外品」として廃棄される恐怖を、世間への呪詛に変えて吐き捨てていた。
路地の奥からは、飲食店が吐き出す腐った生ゴミの酸っぱい臭いと、雨上がりのアスファルトが放つ埃っぽい湿気が混ざり合い、重く停滞している。
「……ねえ、おじさん」
声をかけてきたのは、制服の生地がはち切れんばかりに膨らんだ、一人の少女だった。
美咲、十七歳。
彼女の身体は「若さ」という輝かしい記号を、過剰な皮下脂肪と自己嫌悪で塗り潰している。
首筋からは、数日洗っていないような頭皮の脂の匂いと、それを誤魔化そうとして失敗した安物の制汗剤の、鼻を刺すような人工的なフローラル臭が漂っていた。
悠人は彼女の濁った瞳の奥に、自分と同じ「底辺の腐臭」を嗅ぎ取った。
美咲が提示したのは、あまりに不器用で、悲痛なパパ活の誘いだった。
彼女の背後、曲がり角の闇から、主犯格の女子グループの薄笑いと、加熱式タバコの甘ったるい匂いが流れてくる。
彼女は、搾取されることでしか、その場に留まることを許されない生贄だった。
悠人は応じるふりをした。
(こいつの財布から、なけなしの金を掠め取ってやればいい)
中年男の卑屈な加害衝動。
少女の絶望的な生存本能。二つの腐った感情が、場末の安ホテルのフロントで交差した。
「……五千円、足りない」
自動精算機の前で、美咲が震える声を出した。
悠人は内心で舌打ちし、万札を投入する。
エレベーターの狭い密室。換気扇の回らない空間に、少女の脂ぎった汗の匂いと、安ホテルの壁に染み付いた古いヤニの臭いが充満する。
悠人はそれを「重い」と感じた。
その重さは、この後の惨劇の前触れに過ぎなかった。
「先に浴びてくる。逃げるなよ」
悠人はシャワーを浴び、バスタオル一枚で脱衣所に出た。
鏡に映るのは、締まりのない、だが四十五年使い古した「自分の肉体」だ。
枯草のような加齢臭と、石鹸の香りが混ざり合い、妙な清潔感を醸し出している。
浴室から出て、怯えて丸まっている美咲を促そうとした、その時だった。
足元から、世界が引き裂かれるような衝撃が突き上げた。
直下型地震。
ホテルの建物が悲鳴を上げ、電球が弾ける音とともに、視界が完全な暗闇に支配される。
「……っ!」
悲鳴を上げようとした悠人の口に、泥のような重苦しい感覚が流れ込んだ。
平衡感覚が消失する。
暗闇の中で、隣にいたはずの「肉塊」と自分の境界が溶け合っていくような、おぞましい感覚。
数分、あるいは数時間。
非常用電源も作動しない静寂の中で、悠人は意識を取り戻した。
(……動けない)
まず感じたのは、圧倒的な「重さ」だった。
起き上がろうと腕に力を込めるが、肘にかかる負荷が異常だ。
腹部に溜まった肉の重なりが肺を圧迫し、呼吸が浅く、喘ぐようになる。
わずかに身体を捻るたび、胸のあたりで巨大な「重り」が左右に揺れ、皮膚を内側から引きちぎらんばかりの遠心力を生む。
鼻腔を突くのは、重く、粘り気のある脂の匂いだ。
少女特有の、甘酸っぱくも不潔な体臭。
それがポリエステル生地と混ざり合い、逃げ場のない熱気となって立ち昇る。
「……あ、あ……」
漏れた声は、自分の知る低い掠れ声ではなかった。
喉に脂が張り付いたような、聞き慣れない高音。
脂汗を流しながら這いずり、洗面所へ向かう。
非常灯の微かな光が、鏡を照らし出す。
そこにいたのは、さっきまで自分が蔑んでいた、あの肥満体の少女だった。
指先は短く太く、爪の間には汚れが溜まっている。
唾を飲み込むと、口の中はカサカサに乾いているのに、肌表面はジメッとした不快な湿り気を帯び、脂の臭いが鼻にこびりついて離れない。
足元を見る。
そこには、さっきまで自分だった「中年の男」が、全裸で、タオルを剥がされた状態で転がっていた。

本来は明日のアップの予定でしたが
明日は祝日だしゆっくり読めるかな?と思い
急遽今日もアップしてみました♪
皆さんは明日は休み?私は出勤しますけど。
ちなみに、明日は明日でアップします!
イレギュラーがあっても予定は予定なので♪
エンジニアって言葉は立派だけど、中身は微妙。
安定運用=あいついらないんじゃね?
問題発生=あいつ何やってるんだ?
ってなりますからね。
めちゃくちゃな納期に無理矢理間に合わせても
営業や管理が手柄を持っていってしまうし。。。
という愚痴です。
エンジニアに優しい世界が来てほしい。
次回:明日の同じ時間に


コメント