三日間は、あっという間だった。
指の痛みは消えないまま、むしろ硬くなっていく感覚だけが残る。
コードチェンジはまだぎこちない。ミスも減ってはいない。
それでも――
「……形には、なってるか」
悠人は小さく呟いた。
完全ではない。だが“通して弾ける”ラインには来ている。
それがどれだけギリギリかは、自分が一番分かっていた。
そして今日が、本番だ。
ライブハウスの前に立ったとき、悠人は一度だけ深く息を吐いた。
小さな箱だが、入口にはすでに人の気配がある。
笑い声。話し声。開演前特有のざわつき。
「来たね」
隣で美咲が言う。
「……逃げたい」
「ダメ」
即答だった。
「ここまで来てそれはナシ」
「分かってる」
自分でも分かっている。
だからこそ、口に出しているだけだ。
逃げるつもりは、もうない。
扉を押して中に入る。
独特の匂い。機材の熱。少し湿った空気。
非日常の空間だった。
控室に通される。
中には他のバンドのメンバーもいるが、美咲たちは一角にまとまる。
「じゃあ準備しよっか」
美咲が言いながら、荷物を広げる。
悠人は自分のギターを確認する。
チューニング。問題なし。
手を開いて閉じる。まだ少し固い。
だが、やるしかない。
「悠人」
「ん?」
「これ」
差し出されたのは――紙袋だった。
「……何これ」
「衣装」
「は?」
一瞬、意味が理解できなかった。
「いや、衣装って……普通に私服でいいだろ」
「ダメ」
「なんで」
「うち、ガールズバンドだから」
数秒、沈黙。
悠人はゆっくりと聞き返した。
「……今なんて言った?」
「ガールズバンド」
「知ってる」
「じゃあ分かるでしょ?」
「分からない」
はっきりと言い切る。
「だから何で俺がそれを着る話になる」
「メンバーだから」
「男だろ俺は」
「今日は違う」
「違わない」
即座に否定する。
美咲は少しだけ首を傾げた。
「でもさ、悠人がそのまま出たら変じゃない?」
「変でもいいだろ」
「よくない」
きっぱりと言う。
「コンセプトって大事なの」
「知らん」
「観に来る人は“ガールズバンド”を観に来てるの」
理屈としては分かる。
分かるが――
「だからってこれは違うだろ」
紙袋を指差す。
「時間ないから、さっさと着替えて」
「着替えない」
「着替える」
「着替えない」
「着替える」
しばらく睨み合いが続く。
先にため息をついたのは悠人だった。
「……無理だ」
「なんで」
「無理なものは無理」
視線を逸らす。
これは、ギターよりもはるかにハードルが高い。
美咲は少しだけ黙った。
そして――静かに言う。
「じゃあ、やめる?」
その一言で、空気が変わる。
「……は?」
「ライブ。出るの」
軽い調子ではなかった。
試すような声でもない。
ただ、事実として提示される。
「今ならまだ間に合うよ」
悠人は言葉を失った。
「別に、無理にとは言わない」
美咲は続ける。
「でもさ」
一歩近づく。
「ここまでやったのに、ここでやめる?」
逃げ道を塞がれる。
ギターの練習。あの時間。
指の痛み。積み重ね。
それを全部、ここで捨てるのか。
「……」
何も言えない。
美咲はさらに一歩詰める。
「悠人、さ」
「……」
「昨日、ちょっと楽しそうだったよ」
心臓が一瞬だけ強く打つ。
「気のせいだ」
「気のせいじゃない」
即答。
「音、鳴らしてるとき」
目を逸らせない。
「少しだけ、笑ってた」
言葉が刺さる。
否定できない。
「……」
沈黙。
数秒。
やがて、悠人は小さく息を吐いた。
「……それとこれとは別だ」
「別じゃないよ」
「別だ」
言い切る。
だが、声に力がない。
美咲はそれを見逃さなかった。
「じゃあ証明してよ」
「何を」
「音楽だけやりたいって」
紙袋を軽く叩く。
「これ着ても、変わらないでいられるなら」
言葉を失う。
それは、ある意味で挑発だった。
外見なんて関係ないと言うなら――
証明してみろ、と。
「……ずるいな」
「知ってる」
あっさりと認める。
悠人は目を閉じた。
考える。
逃げるか。
進むか。
選択肢は、もうそれしかない。
そして――
「……分かった」
目を開ける。
「やる」
美咲の表情が、ぱっと明るくなる。
「ほんと?」
「ただし一回だけだ」
「うんうん」
「次はない」
「はいはい」
全く信用できない返事だった。
「……で、どうすればいい」
「とりあえず着替えて」
楽しそうに言う。
悠人は深くため息をついた。
更衣スペースで、悠人はしばらく動けなかった。
手に持った制服。
見慣れたはずの形。
だが、自分が着るものではない。
「……なんでこうなる」
誰に言うでもなく呟く。
だが、外ではもう時間が動いている。
決断は済ませた。
なら、やるしかない。
ゆっくりと着替え始める。
シャツ。スカート。ジャケット。
動きがぎこちない。
違和感が強い。
だが――
鏡の前に立ったとき、言葉を失った。
「……は?」
そこにいるのは、自分のはずなのに。
どこか違う。
髪はまだそのままだが、服装だけで印象が大きく変わる。
そこへ、美咲が入ってくる。
「できた?」
「……」
無言で振り返る。
一瞬、沈黙。
そして――
「……いける」
真顔で言われた。
「いけない」
「いけるって」
近づいてくる。
「ちょっと待って、仕上げるから」
「仕上げるな」
抵抗する間もなく、椅子に座らされる。
「ウィッグつけるよ」
「いや待て」
「時間ないから」
手際がいい。
あっという間に髪が整えられる。
「あと軽くメイク」
「やめろ」
「目閉じて」
「……」
抵抗を諦める。
数分後。
「はい、完成」
鏡を向けられる。
「……誰だよこれ」
思わず本音が漏れた。
そこにいるのは、確かに自分だ。
だが――
知らない誰かでもある。
輪郭が柔らかくなり、表情の印象が変わっている。
「いいじゃん」
美咲が満足そうに言う。
「完璧」
「どこがだ」
「全部」
即答だった。
悠人はもう一度鏡を見る。
心臓が少し早い。
恥ずかしさと、違和感と――
ほんの少しの高揚。
「……バカだろ」
小さく呟く。
だがその声は、どこか弱かった。
「そろそろ出番だよ」
外から声がかかる。
時間が来た。
悠人はギターを手に取る。
その重さは、昨日までと変わらないはずなのに――
少しだけ違って感じた。
「行こ」
美咲が言う。
悠人は一瞬だけ足を止めた。
だが、すぐに歩き出す。
控室の扉を開ける。
廊下の先、ステージへ続く道。
光が漏れている。
音が聞こえる。
ざわめきが近づく。
心臓の音が、それに重なる。
「……マジかよ」
小さく呟く。
だが、もう引き返せない。
そのまま、一歩を踏み出した。
この瞬間。
悠人は、完全に“別の自分”へと足を踏み入れた。

女装で思いつくバンドといえば何でしょう?
私が思いつくのはSHAZNAです。古いな。
普通に聴いてたけど、私自身が女装と音楽両方やるとは。。。
まあ、この写真は構えてるだけで、ライブとかはしてないですけど。
音楽はゲームと同じく、何歳でも楽しめる遊びです。
下手の横好きでもやってみるといいさ。
どうせ誰かに見せるわけでもなし。
高校生のとき親からはうるさいと怒られてましたが。。。
次回:4/14 21:00更新


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