
蒼真と美穂が入れ替わったのは、ただの平日の朝だった。
理由も、兆候もなかった。
ただ目覚めたら、自分の体ではない体が、布団の中にあった。
最初に混乱したのは蒼真のほうだった。
鏡の中に映るのは、社会人である桐谷美穂の姿。
見慣れた制服ではなく、ブラウスにカーディガン、大人っぽいアクセサリー。
「……まじかよ」
一方、美穂も驚いていた。
目の前の部屋は狭くて雑然としていて、学生らしい匂いが漂う。
「ここって、もしかして……蒼真くんの部屋?」
メッセージを送り合い、ふたりは昼過ぎに駅前のカフェで落ち合った。
「てことは、昨日の夜寝るまではふつうだったってことだよね?」
「うん……なにか心当たりある?」
「いや、全然。ほんと、突然って感じで……」
会話はぎこちなく、だけどどこか不思議な安心感もあった。
その日はどうにもならないので、お互いの家に一度帰り、それぞれになりきって生活することにした。
蒼真はスーツに着替え、美穂の家でシャワーを浴び、なんとか会社に向かった。
メールの対応も、電話も、最初は震える指でこなしていった。
美穂になったことで得た“大人の落ち着き”のようなものが、少しずつ助けになっていった。
美穂は学生服を着て登校した。
校門で挨拶を交わし、教室で友人たちと何気ない会話をしながらも、心はどこか別の場所にあった。
「ねえ、蒼真くん」
数日後、またふたりで会うことになった。
今度は、海のある水族館に行こうという美穂の提案だった。
「ちょっと気分転換になるかなって。こういうの、久しぶりなんだ」
館内を歩きながら、美穂(中身は蒼真)ははしゃぐように魚たちに目を輝かせていた。
「やっぱり、美穂さんの体って、感覚が違うよね。すぐに感情が顔に出るっていうか……」
「ふふっ。私も蒼真くんの体、妙に落ち着くんだよね。学生の頃を思い出す、って感じ」
館内を一通り回ったあと、ふたりは足元まで水が張られた浅いプールの縁に座った。
魚たちがすぐそばを泳ぎ、透明な水が光を反射してきらきらと揺れていた。
「こうやって座ってると、ちょっと現実じゃないみたいだね」
「うん……でも、なんか不思議と安心する」
蒼真(美穂の姿)は、美穂が身につけていたアクセサリーをそっと指で撫でた。
「この数日間、本当に変な感じだったけど……なんか、悪くなかった」
「そうだね。最初は戸惑ったけど……蒼真くんの体で過ごしてるうちに、自分のことも、相手のことも、前より分かった気がする」
「……これが、恋ってやつかな?」
冗談めかして言ったつもりだった。
でも、美穂(蒼真の姿)は顔を赤らめていた。
「そうかも。こうやってお互いになってみないと分からなかった気持ち、いっぱいあったから」
ふたりは自然と笑い合った。
そうして、美穂がバッグから小さな包みを取り出した。
「これ……今日のお土産。なんてことないチョコなんだけど、食べる?」
「うん。ありがとう」
ふたりはチョコを一口ずつかじった。
なめらかな甘さが口の中に広がり、目の前の水がやわらかく揺れた。
その瞬間、ふっと意識が遠のいた。
次に目を覚ましたとき、蒼真は自分の体に戻っていた。
美穂もまた、もとの彼女に戻っていた。
「……戻った?」
「うん、たぶん……」
お互いに自分の体を確かめ合い、そして視線が合った。
「なんで戻れたのかな?」
「さあ……でも、あのチョコかな。気持ちを込めて渡したから……?」
どこかで不思議なスイッチが入ったのかもしれない。
だが理由はどうでもよかった。
ふたりは笑い合い、そして自然と手をつないだ。
入れ替わりという非日常を経て、お互いの気持ちは確かに近づいていた。
それからも、ふたりはときどき連絡を取り合い、そして再び不思議な入れ替わりが起こる日を、ほんの少しだけ楽しみにするようになった。
そのときはまた、ふたりで遊びに出かけよう。
あの水のように、静かに、でも確かに流れる時間の中で。

若い頃、少し上のお兄さんやお姉さんに世話になったり
憧れたなんて人は結構いそうかと思います。
歳を取ったら憧れみたいなのは無くなりましたが
感謝とか敬意は消えないですね。
でも入れ替わるとかはちょっと勘弁。
とか言うと相手方に失礼か?
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