
――この身体は、誰のものなんだろう。
制服のリボンをほどきながら、ふと、そんな考えが胸をよぎった。
鏡に映るのは見慣れない少女の姿。
だけど、もう三ヶ月もこの身体で暮らしている。
見慣れないなんて言っていられないのに、心は今もどこか浮ついている。
ある日、何の前触れもなく僕たちは入れ替わった。
朝、目を覚ますと、僕は病弱な少女・一ノ瀬由梨の身体になっていた。
目の前には、僕の身体をした”彼女”がいて、戸惑いながらも僕を名前で呼んだ。
「……ごめんね。ほんとは、事故みたいなふりをしてたけど……私、わざとだったんだ」
そんな告白があったのは、入れ替わってからしばらくしてのことだった。
彼女は、生まれつき心臓に疾患を抱えていた。
外を歩くだけで息が切れ、階段を上がるだけで倒れそうになる身体。
「あなたなら……生きてくれると思ったの。だから、選んだの。ごめんなさい」
罪悪感をにじませながらそう言った彼女の目は、涙で滲んでいた。
でも、僕は彼女を責める気にはなれなかった。
初めて彼女の身体で病院を訪れた日、看護師さんに言われた言葉が胸に残っている。
「由梨ちゃん、今日もよく頑張ったね。お薬、増やしておこうか」
彼女は、毎日を全力で生きていた。
その重みを、ほんの数日で痛いほど理解した。
それからというもの、僕は彼女として生きることを決めた。
学校へは行けなかったけれど、自宅でできる勉強を始め、療養の日々を送りながらも心を保っていた。
一方、彼女は僕の身体で高校生活を続けていた。
クラスメイトたちと談笑し、部活動にも参加し、時折メッセージを送ってくれた。
「今日、理科の小テスト満点だったよ」
「体育、久しぶりに全力で走った。気持ちよかった!」
そんな日常の報告が、僕にとって唯一の光だった。
……そして、あの夜。
熱が出て、咳が止まらなかった。
薬を飲んでも治まらず、布団にくるまっていた僕の元に、彼女が訪ねてきた。
「無理、しすぎたんじゃない?」
玄関を開けたとき、自分の身体が心配そうに眉をひそめているのが不思議で、でもどこか懐かしくて、僕は少し泣いてしまった。
「ごめん、俺……大丈夫だと思ってたのに」
彼女は何も言わず、僕を抱きしめた。
その腕は温かくて、鼓動が聞こえるほど近くて、僕の心に染み込んだ。
その夜、彼女は僕の横に布団を敷いて寝た。
「少しでも、あたたかくなってほしくて……ごめんね、変なこと言ってるよね」
「……いや。ありがとう」
言葉がうまく出なかった。
だけど、彼女の気持ちは痛いほど伝わってきた。
そっと手を握られたとき、心がふるえた。
手の温もり、肌の柔らかさ、それがあまりに切なくて。
彼女の指先が、僕の髪に触れる。
頬に触れる。そして、唇が、そっと重なった。
それは、慰めでも、同情でもない。
確かに、繋がりたかった。
自分じゃない身体で、確かめたかったんだ。
互いの中に、まだ残っている温もりを。
「……ありがとう。生きててくれて」
僕の身体の声でそう囁かれたとき、もう何も言えなかった。
――翌朝。
彼女は何事もなかったように笑っていた。
「今日も、一緒に病院行こうか。次の検査、いい結果だといいね」
「うん……そうだね」
僕はまだ、彼女のすべてを許せたわけじゃない。
でも。
この命を、誰かのために使えるなら。
――それは、きっと幸せなんだと思う。

自己犠牲って怖いです。
私は誰かの代わりに動けなくなるのは嫌なので。
100歩譲っても家族とかくらいですかね?
皆さんはもっとまともな幸せを感じてください。
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